哀しい報告

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この人に会っていなかったら今こうやって生きている自分はありえない、という人が何人かいます。土橋恵美子さんは確実にその一人です。初台で「騒」(ガヤ)というライブスペースをやっていたエミさんです。そのエミさんが亡くなっていたことを偶然知りました。昨年の10月20日ということは、ミッシェル・ニンツアー最終日を前に富士吉田に泊まった日です。もう会えないのです。本当に。
ただ家から近いと言う理由で、アマチュア時代にリハーサルにお借りしていました。ピアノは宮本新さん(脚本家宮本研さんの長男)、ドラムが岩本次郎さん。オーネットの真似でした。ミンガスやドルフィ、モンクもやりたかったけれど音楽的に難しすぎ、オーネットのゆるい規則と方法がフィットしていたということでしょう。
初台には、今のように新国立劇場もITやNTTのビルもなく、工業試験場という大きな敷地があり、タス通信の宿舎と永山則夫が捕まった代々木警察が目立つくらいの場所、アベベが東京オリンピックで走った甲州街道に面した雑居ビルの三階。タルコフスキーが「ソラリス」で使った首都高速4号新宿線が甲州街道の上を走り、代々幡火葬場では吉田茂が火葬され、私の通っていた小学校が前にありました。甲州街道をわたる歩道橋からは富士山が見えていました。いわば私の幼少時代の庭のエリアでした。更に言えば、幡ヶ谷にあった東京教育大学では田中泯さんが通っていて、札幌ジェリコの渋谷さんも近くに住んでいたということです。
店番していたエミさんに気に入られ、夜のライブもやってみなよ、ということで人前での演奏を始めました。なんと、それが今まで続いちまっている発端なのです。その頃の私のコントラバスの技量を思い起こすと、恥ずかしくってどうしようもありません。なんで、良い、と思ってくれたのでしょうか。大成さんにしろ、エミさんにしろ、事実を観るのではなく、違うものを観ているのでしょうか。初演奏は、ちょうど「騒」をホームにしていた阿部薫が亡くなった直後(翌月)でした。私は阿部薫の生演奏をしりません。
八王子のアローンというライブハウスが閉まって、行き先を探していた梅津和時、原田依幸たちが生活向上委員会を立ち上げるちょっと前だったか、よくここで演奏をしていました。
ロン毛の梅津さんと共演した時は本当にうれしかった、というほど私の意識はアマチュアでした。女子美をでているエミさん、感覚は超能力者なみでしたが、体力はあまりなく、疲れている時期は、私は週一回くらいのペースで店番をしました。焼きうどんの作り方を習いました。お客様が途切れるとそのころ大好きだった5代目志ん生をかけたり。氷を運んでくれている酒屋のおじさんが、バリー・ガイのLPに「ステレオ、壊れているよ!」と言ったのを懐かしく思い出します。
常連は映画の録音技師だったり、デザイナー、植木屋さんだったり、ともかくみんなオトナでした。私は大学院に行くのを止めてこの道に入ろうとしていた時だったし、世の中のことをよく知らない(今でも知りませんが)ころだったので、ただただ話を吸収していただけでした。焼酎「白波」が珍しい頃でした。ズブロッカを冷凍庫に入れ1本空けると中の薬草を取りだし次のボトルにいれて増やしていくのが流行ったり、目もくらむオトナの世界でした。
溝入敬三さんとデュオをやったり、ソロで大恥をかいたり、大成さんの絵を置いて演奏したら、それが売れたり、「テッチャン、エレベ弾く?」と梅津さんに聞かれ、「ムリです」と答えました。ドクトル梅津バンドを作るときでした。やります、と言っていたらどうなったでしょう。阿部薫のパートナー鈴木いづみさんと「騒」のカウンターで朝まで飲んだときは強烈でした。翌日から口内炎が酷くなり、食べることもしゃべることも出来ず、高熱が一向に下がらず、結局入院しました。それほど強烈な個性の人達がまだそこらへんに居たのです。
このバカでかい楽器を遅く始めたために、私は独自の練習法を開発し、かなりの時間を練習に費やしました。合理的練習を目指したのですが、身体が楽器用になっていないためでしょう、あっと言う間に腱鞘炎になりました。
エミさんは、呼吸の良い録音(阿部薫でした)をかけながら患部を手で軽く触れ、意識を集中させ、固まった神経に呼吸をさせて、だんだんと治してしまいました。その時は本当にこの人は超能力者だと思ったものです。子供の頃、木村伊兵衛氏にモデルになってくれと言われたとか、UFOを観たとか、超常現象を当たり前のように体験しているとか、「騒」を止めてからは、占い師になったとか、ともかく常識的なこの世では収まらなかった大変魅力的な人でした。結婚式以来、会っておらず、いつかかならず、思い出話をしながら,今の話をしようと思い続けてきました。
遺稿集になってしまった本を手に入れました。騒恵美子、というペンネームになっています。時々挟まれている写真を観るだけでダメです。いろいろなことが思いおこされてしまって・・・・なかなか字は読めないでしょう。
「おかげさまで、この道に入ることが出来ました。宝のような知り合いに恵まれています。山あり谷ありですが、ここに至っています、そしてできる限り続けて行きます。」と、墓参して報告しようと思います。

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