私の好きな20世紀の音楽の巨人は、デューク・エリントン、アストル・ピアソラ、アントニオ・カルロス・ジョビン。金石出や海童道、久田舜一郎、沢井一恵などはこの稿では除外します。
大きくくくると、エリントンはブルース、ピアソラはタンゴ、ジョビンはサンバをやり続け作り続けました。それぞれリズムです。エリントンはさまざまなリズムを使ったり、西洋近代和声を使ったりしていましたが、4ビートのブルースが何と言っても中心でした。ピアソラは3・3・2の所謂ピアソラビートもやりましたが、それもミロンガの変形だったりするし、プグリエーセのジュンバ(究極の2ビート)に帰って行ったとも言えます。ジョビンはボサノバと言われたり、うっとりするような曲も多く作りましたが、終始2ビートのサンバを作っていたと言えます。3者ともアフリカの影響がありますね。
そう考えると、三者とも自分の人間・民族としてのルーツや自分の地域・国のルーツに忠実だったと言えます。私たち日本人はどうしましょう?「えんやとっと」でしょうか?「小唄」でしょうか?それらは私にとって遠いです。アフリカも遠いです。
もう一つ考えると、彼らにしても彼らが作った音楽は純粋・伝統ではありません。エリントンが使ったジャズの楽器は西洋楽器です。それを自分の口調で歌うことを強調していまし、近代音楽の複雑な和声を使いました。バンドネオンはドイツの楽器です。ジョビンの音楽はピアノから作られています。ピアノももちろん西洋楽器。
ミックス・クリオージョ・チャンプルーが「ユニークさと普遍性」という一見相反するものの源泉だとも言えるでしょう。生物学的に言うと純粋種は天敵に対してなすすべがないため「弱い」と言います。
私の開発したコントラバスのさまざまな奏法は、西洋楽器の自分化の実験だったのかも知れません。これが何代か伝わって形を変え、リズムを変え、ここから発信できる音楽に貢献できること。ロマがガルドンを作り、韓国でアジェン、コムンゴができたのを先例として。