ベースアンサンブル「弦・gamma/ut」(1)

ベースアンサンブル「弦・gamma/ut」について
一生でひとつの歌が歌えれば、それでいいのではないか、と考えたり、あれもやりたい、これもやりたいと思ったりしているうちに、ずいぶん時間が経っている(歳を取った)。ともかくこのアンサンブルでは、私の30年以上の演奏生活での印象的なものばかりが演奏されることになった。
世にあるベースアンサンブルはクラシック系の技巧自慢が集まっているのがほとんど。ジャズ系だと、ソロとバッキングに分けて、一人一人ソロを回すというやり方から自由になれない。両方ともじっくり音楽を作っていくと言うよりは、企画がたちあがり、それをこなしていくというパターンが多いようだ。
それは避けようと思った。
コントラバスで「うまい」というと、ほとんど「チェロのように」「まるでヴァイオリン」のように演奏する、と言うことになっている。その裏には、あんなどでかい図体をして不器用なくせに、という前提が見え隠れする。
それならば、チェロでやればいいし、ヴィオラ、ヴァイオリンで演奏すればいい。そして、メンバーの田辺和弘さん、パール・アレキサンダーさんはそういう演奏もできる。しかし、ここではそういう演奏はしない。
私の感じているコントラバスを、メンバーに納得してもらうことが始まりになる。瀬尾高志さん、田嶋真佐雄さんはずいぶん前から私のやり方に興味を持ってくれていた。田辺さんは最近興味を持ってくれた。パールはアメリカでの私の演奏を聴いて以来関心を持ってくれ,東京に来るとライブやレッスンに来るようになった。
言ってみれば、私が選んで集まってもらったのではない。ひとりひとりが私との関係を持ち、それが有機的に繋がって今回になった。鶴屋弓弦堂の役割も大きい。そんな時、kadima collectiveの収録という話があり、今回のライブシリーズが実現したのだ。
まずはガット弦を使う。それもプレーンガット。上の2本が銀や銅で巻いてない、ガット(羊や牛の腸)がそのまま使われる。
世の中のコントラバスのほとんどの傾向に逆行することをやる。アメリカでのコントラバスコンヴェンションにでたとき、現代音楽作曲家でもあり、即興演奏もするテッポ・アホさんと話をしていたとき、私がガット弦に固執している、というと「お前は熱でもあるんじゃないか?」とおでこを触られた。バール・フィリップスさんにしても、ガット弦からスティール弦に替え、フレンチ弓からジャーマン弓に替えた。私たちは(パールを除いて)その逆を行っている。
演奏予定曲
1:タンゴ・エクリプス 横濱ジャズプロムナードの特別企画で神奈川フィルと演奏するいう「シンフォニックインジャズ」という企画があり3年参加した。1年目はアンコールを含めて3曲作った。その一曲。現在スターになったバンドネオンの小松亮太さんがちょうどメジャーになるころのことだ。私には譜面がほとんど無いというダブルコンチェルト。
小松亮太さんのアイディアで後にコントラバスカルテットで試みたものが土台になっている。(山崎・東屋・松永・徹)その後、群馬交響楽団のトップになった山崎実さんのアイディアで群響のコントラバスセクション8重奏、札幌の「漢たちの低弦」でも何回も演奏した。
第1楽章は、ジュンバというリズム。1986年にブエノスアイレスに行き、オズワルド・プグリエーセさんと共演という事件があった。プグリエーセさんの究極の2ビートがジュンバ。ピアソラも最後のセステートなどでジュンバを多用していた。ピアソラはタンゴの前衛でも異端でもなく、タンゴの本流であることを端的に示す。
第2楽章は、ミロンガ、ハバネラ。最初のメロディは「水の街のメディア」(渡辺えり子作・李麗仙主演)の時の曲。本番では事情があって使われなかった。これを書くと長くなる。
第3楽章は、5拍子のタンゴ。そんなもの普通ありえない。当時の私の二大影響というのが、アルゼンチンでのタンゴ体験、韓国でのシャーマン体験だった。(日本では、高柳昌行・富樫雅彦それぞれのグループに入っていたころだ。何という贅沢な時期だろう!)私の身体になぜか有る5拍子と韓国の5拍子、現代音楽の5拍子に惹かれていくうちにタンゴの5拍子だって有って良い?
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2:E♭チューニングの曲メドレー(糸~西覚寺~トルコ二種~invitation)
一時、今は疎遠になったマネージャーがいて、関西を中心にソロでたくさんライブをやった。音楽ファンというよりは、フツーのオトナが集まるところが中心。お寺だったり、個人宅だったり、集会場だったり。カラオケに行くつもりが動員され連れてこられた、というような関西のおっちゃん・おばちゃんがギョーサンいる中で、ひっちゃきにインプロをやってもお互い面白くない。演劇のために作った自作の曲をやるのが一番フィットする気がした。
それにしてもベースソロで曲を弾くのは限界がある。そこであみ出したのがE♭チューニング。伴奏とメロディを同時に弾きやすい。私の好きなリディアンのメロディが乗りやすい。普通のチューニングでなくE♭・G・E♭・Gと言うチューニングにする。ここから開けた世界は大きかった。音楽的にも、考え方もずいぶん変わった。
糸は京都造形芸術大学での高田和子主催の「帰ってきた糸」の委嘱の中の一曲。西覚寺は小山利枝子個展の委嘱、トルコ二種とinvitationは演劇集団「太虛」のために作ったもの。
続く・・・
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