即興に関するよしなしごと(7)

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「即興」の対義語は何でしょう?普通思い浮かべるのは「作品」ですね。それは間違ってはいないけれど、充分ではない。大きく捉えてみれば、即興の対義語は「常識」・「当たり前」ではないでしょうか。さらにいえば、「自分自身」と言い換えることができると思います。

発見があるかどうか、がカギです。何も用意していなくても垢のついたような手癖を演奏していたら、発見はありません。それは、即興ではない。逆も真なり、全てを書いてある譜面を演奏しても即興はある、ということを以前書きました。

大きく捉える(それ自体が即興かもしれませんね。)と、いろいろなことが見えてきます。怒濤のようなグローバリゼーション,商業主義。テレビ、マスコミ、広告を疑う、ものを大事に使う、むやみに買わない、直す、作ってみる、歩いてみる、等々。自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の足で歩いて、自分の頭で考える、その瞬間瞬間に創造があり、即興があるのではないでしょうか。洗濯物を干すときに、この靴下の隣にこのタオルを干すと良い感じになる、それで良いのです。

「効果」を疑う、これも大事です。ちょっと過激に言えば「効果は本質を殺す」のではないでしょうか。効果的であること、能率的であること、に異議を差し挟む人は、この忙しい世の中、あまりいない。さて、即興の出番です。「本当にそう?」と問う瞬間の発見。同じように「好き・嫌い」を疑ってみることも必要です。本当に「好き」なのか?本当に「嫌い」なのか?

効果は、どうしても「もっともっと」を目指します。より効果的に、と努力している内に、何を失うか?それは本質なのかもしれません。こうやると「カッコイイ」を疑う、あえてやらない。音が小さくて聞こえない時、聞こえるように音を拡声するのではなく、耳をそばだてて聴く方向に持って行く。

良い音、キレイな音、美しい音を出すことに、ちょっと待った、を言う。不可能なことを演奏する。これが即興の役目でしょう。

効果的な音を味わってスッキリとする=日常を忘れる、のではなく、何かわからないけれど、曰く言い難いものを思い出してワクワク・ドキドキ・ドギマギする。その方が大事でしょう。そのきっかけに即興は役に立つのです。

それは、アマノジャクかもしれません。面白いものに対して、人はどんどんと興味を持ち、時間を忘れて没頭します。それが発明につながったり、創造につながったり。「面白い、面白い」を続けていくと、行き着く先に原水爆の発明があったり、クローン人間があったりするのも現実です。確かに今流行りのゲームは面白いらしい、けれど、面白い面白いと刺激をされ続けていって、精神を破壊されてしまう人も出てきているわけです。

「学ぶ」ことは「まねる」ことから始まっているし、最近取りざたされているミラー・ニューロンは人の本質です。真似から始まることは確かです。しかし、その暴走に待ったを掛ける必要がある。「だって、しょうがないじゃない」となかなか言わないアマノジャクが必要なのです。その時にインプロビゼーションが肯定的に役に立つのです。

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