演奏活動に入ってから、いつでも現場で「最年少」でしたが、ふと気がつくといつでも「最年長」になってしまっていました。いつ逆転したのかまったく不明。やんちゃなエネルギーに当てられたり、一緒になって騒いだりするとぐったり疲れたりするけれど、確実に「何か」をいただいたり「何か」を思い出したりしています。ありがたいことです。私が、ふと口にするネガティブトークを,たしなめてくれたり。どちらが年長かわからないぜ。まったく。
Bassically Speakingの2日連続ライブ+リハーサル。この音楽の目的は、ただ一言、コントラバス音楽の充実。そのために私のありったけをぶつける。打楽器奏法、変則チューニング、タンゴ、即興、歌、ビート、ユーモア、ブラジルなどなど。近い将来、韓国のシャーマン音楽、西洋クラシック音楽などを付け加えるとほぼ全部かな。
パールさんの師匠ダイアナ・ガーネットさんも大変喜んでいるという話は、とても勇気を与えてくれます。「可愛い弟子になんてことをさせるの?」と怒られないだけでも嬉しいのにね。高志さんの楽器(かつて私が弾いていた。多くのツアーをして、ソロCD「invitation」の時にも使ったたくさんの想い出のある楽器)は、完全に彼の音になり、しかも前述した「イオン洗浄水」で生まれ変わったのです。世の中が大騒ぎしないのが不思議なくらい「革命的」な変化です。また、彼は現在、「押す」だけでなく「引く」ことも体得しつつあるので、聴衆の中で、とても美しい音が出ていると,話題になっていました。ヨカッタ、ヨカッタ。
アケタの聴衆には演奏家も多く来ていただき、緊張感とリラックス感が交差し、時には授業参観の親のように(実際に彼らの親の世代なのです。)時には、イタズラに興じてエスカレートする悪ガキ仲間のように、楽しむことができました。1番子供っぽいのはやはり私か?
一つ一つの曲にはいろいろな想い出があって、思い出しながら、しかし、余裕の中で自分だけが「弾けなく」て困らないように演奏していたという感じでした。実際は私が落っこちた場面もあり。
よく思うのですが、やはり、ベーシストのリーダーが多く出て、音楽を引っ張っていくことが必要です。「強い」楽器のリーダーに引っ張られて,便利なサイドマンになるのではなく、ベーシストが自分の信じる音楽をぶつけていけば、世の中の音楽はうんと変わるはずです。病気のようにPAを通して音を大きくする必要はない。聞こえなかったら、音を大きくするのではなく、耳をそばだてて聴く。そのベクトルから見えてくる(聞こえてくる)豊かな音楽が待っているはずです。
週末の演奏の翌日はこのところ大学の授業でした。教室がコンピューター室ということで、学生はモニターを見ていて私の言うことをキーボードを叩いてノートをとっています。これにはちょっと戸惑いました。こちらもMacBookを持ち込んで、珍しい映像をだします。私が20年近く前にやった雅楽・邦楽・西洋音楽・韓国シャーマンの合同コンサート・ユーラシアンエコーズ、ワルシャワでのアバカノビッチとのコラボレーション、海童道のインタビュー、駱駝の涙、小松亮太とのダブルコンチェルト、久田舜一郎氏とのヨーロッパツアーなどなど。
2回目の授業では楽器を持ち込み、倍音のこと、音列のこと、雑音のこと、即興のことなどの入り口を示唆。なにしろ音楽学部でも美学でもない学生です。
かつては、美術の若者のモグリがいたり、ベーシストもよく来ていました。今年は通りすがりの学生が音に惹かれて熱心に聞いていて、興奮した感想を言ってくれました。普通の学生にも「きっかけ」の「きっかけ」でも引っかかったら成功でしょう。
娘は毎年聴講してくれますが、「今年はリラックスしていて、よかったよ」と珍しく褒めてくれました。つらつらと理由を考えていたら、そうか、Bassically Speakingや喜多直毅さんなど若い人とのつき合いが多いために、オヤジが良いように作用したのかもしれない、と思い至ったのでした。若い諸君、ありがとうございました。
「若いという字は苦しい字に似てるわ~」っていうフォークソングがあって、井野さんが時々歌っていたのを思い出しました。