2011年10月に

来年のことを言っても、誰も笑わない時期になったのでアップします。

海外からの招聘は年々難しくなってきている。招聘に対する助成はどんどんなくなっている。自ら助成を取得しやすい国(スイスなど)から、日本でのギャラを全く当てにしなくてもかまわない演奏家が来て、チャージバック(その日の聴衆が払った料金を店側と分け合う)で演奏をしていく。若い層では、演奏する場所がたまたま日本だったと言う感覚で来日し、Face BookやMy Spaceなどのインターネットでしりあったミュージシャンを頼りに多量のブッキングを繰り広げる。それも良いだろう。

一方、日本・日本文化にひとかたならぬ興味を持ち短期・長期に日本に滞在、来日を繰り返すミュージシャン・ダンサーも増えている。

かつてのように、来日するミュージシャン(特にインプロ系)が少なかった時と状況は違う。

しかし、30年演奏し続け、シーンに貢献してきたミュージシャンに対して、私としては最低限度の保証はしたい。ちょっと食事に行くだけで2000円かかり、駐車場に2000円かかる時代。意気込みを持って、善意に溢れ、日本人・日本文化と交流しようと、はるばる来日した50歳台以上のミュージシャンが懸命に演奏して、聴衆5人、ギャラ2000円では、いけない。世の中それではいけない。何かがおかしい。

千恵の輪トリオのツアーを全勢力を賭けてやりとげてから、なかなか招聘する気力が溜まらなかった。これを成功させるために実に多くの人々の善意と協力を仰ぎ、多くの時間を使っていただいてようやっと成し遂げた印象だ。それを,次から次へとはできるものではない。

一方、私のまわりでも、ポツポツと鬼籍に入る人もでてきていて、残りの時間を考えるようになると、やっておきたいことも具体性を帯びてくる。前々から来日を切望していたル・カン・ニン。スティック(棒)で皮や金属を叩くという打楽器の固定観念を、もはや完全に越えてしまった彼の演奏はインスピレーションに溢れ、驚き、悦びに溢れている。今年フランス・ドイツで再会し共演したときに、私がやらねば、と思った。

ミッシェル・ドネダはもう兄弟のようだ。何年会っていなくても、問題無く、今の自分でつきあえ、共演出来る。今年は何回も共演した。いろいろな音楽に今なお手を出し続ける私と違って、自分のできることをますます絞ってきて、尖らせている。

また、彼らは、日常的にヨーロッパ中を旅していて、荒廃したギリシャ、ルーマニアなどの状況の中でも演奏を続けている。もう音楽・美術に割く時間もお金もなく、心のゆとりなど二の次三の次のような場所で、どんな演奏が可能なのか?ということを自問している。

政治も司法も信じることができず、消費文化礼賛のこの日本で、彼らが何を感じ、何を得、将来を感じ、共演者,聴衆が何を感じるか、そんな興味で一杯だ。

とりあえず、サイトをアップしました。

これからも、彼らの意見も載せることができるように充実していきたいと思いますので、興味のある方は時々チェックをお願いします。

また、演奏場所などに心当たりのある方は、情報をお寄せくださいませ。

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