オトナが遊ぶのだ。子供は家でゲームでもしていなさい。

トラ・ゾウ保護基金のイベント、盛況の内に終了しました。偶然の出会いを悦び、繋げていく裕児さんのアソビゴコロが見事に輪を拡げ,ポレポレ坐全体を包んでいました。動物園で偶然であった「トラ・ゾウ保護基金」との縁を持続、注目していた女優・内田慈さんを巻き込み、私と喜多さんも当たり前のようにそこにいて、場所はお馴染みになったポレポレ坐。つい先日まで地下の映画館では、内田慈さんが主演女優をしていた「ロストパラダイス・イン・トーキョー」を上演していました。自閉症の兄、ストレスを抱える弟と風俗嬢のマリンちゃんの話でした。好評につき、日本・世界各所で上映が決まっています。http://lostparadise.seesaa.net/

オトナが遊ぶのにはそれなりの覚悟が要ります。そして真剣でなければなりませぬ。本来「神」のみが許されていた「遊び」なのですから。

第一部は、ライブペインティングで私と喜多直毅さんが即興演奏で時と場を分かちます。インド象はアフリカ象に比べ、耳も小さく、あまり絵に描かれないそうですが、インド象と二匹の虎がみるみる出来上がっていきます。そこに即興で音を出します。こういう機会を直毅さんに体験してもらいたかった私の狙いは見事的中。自在な良い演奏でした。少し足りないかな、と感じる位、こうもやりたかったという欲が出るくらいのほうがこういうセッションでは良いことが多いのです。トラ・ゾウ保護基金・理事長・戸川久美さん(戸川幸夫さんのお嬢さん)も裕児さんの絵を絶賛していました。

小林裕児さんと戸川久美理事長

第二部、丹頂鶴の慈さんが犬の直毅さん、ロバの私を伴って登場。学芸会、宴会余興すれすれの始まり。はい、わかっています。脚本・演出がどれだけプロフェッショナルな仕事か。照明・音響も演劇では必須です。しかるべきプロを雇うこともできるでしょう。どんなに素晴らしい舞台ができるかも想像できます。でもそうせずに内田さんに筋も任せます。照明もほとんどありません。

慈さんは、素なのか、演技なのかわからない状態でお客さんを「いじり」ます。素でやっている、と判断した聴衆の方が多かったようで、いつのまにか異空間へ入っていきます。

なぜ虎と象だけが保護される?(私だって絶滅危惧種の鶴だから、保護してください。)という話しから、何が「虎」を「虎」にし、「象」を「象」にし、「私」を「私」にしているのか、という問いかけ。「私」っていったい何なのだ?というテーマに持って行くというあらすじでした。立川談志の「粗忽長屋」のような感じにも見えます。

慈さんのエンターテイメントに賭ける意思の強さが支えになっての綱渡りが続き、ロバと犬は工夫を凝らした演奏を続けます。

脚本・演出・照明など本格的にいれると時間・お金がかかり、なかなか実現しずらい、一方、自由なものは実現しやすいが、個人にかかる仕事量・責任が大きく、向き・不向きがあります。

ストラビンスキーの「兵士の物語」は、第一次世界大戦中、移動が簡単なように設定したそうだ。ナレーター、兵士と悪魔、バイオリン、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、コントラバス、打楽器のみ。ジャン・コクトーがやったり、スティングがやったり、田中泯がやったり、私もエアジンの梅本さん(トランペット)の肝いりでやったことがあります。

しっかり仕組まれたもの、即興性のゆたかな自由なものを何回も往復していけば、「方法」は見つかるだろうか?遊び続けるしかない。

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