いつになったら?

いつになったら、CDやDVDを買わずに、映画も本も触れずに、泰然自若として自分のことに専念できるのだろう?齢を重ねるにつれ、残りの時間で何ができるだろうと考えると、「もう情報は要らない」はず、今までのストックで充分のはず。新しい情報を拒絶して、インターネットもコンピューターも切って、野菜でも作って暮らせるのだろうか?

自分の来た道を思う。ごく普通の家庭に育って、受験勉強をし、大学のころ急に道を外れた。そんな人間がよく続けてこれたものだ。音楽の英才教育を受けてきた人と仕事をするとやはり差はある。そんな中で、私は、人に出会う事にかけては天才的だった。金石出、オスワルド・プグリエーセ、アバカノビッチ、高柳昌行、富樫雅彦、沢井一恵、久田舜一郎、バール・フィリップス、ミッシェル・ドネダ、ジャン・サスポータス、小林裕児、高橋悠治、田中泯,ザイ・クーニン達に要所要所で出会い、恵まれた道を自覚して進んできた。もちろん、もっともっと大勢いる。

それを可能にしてきたものは、おもしろそうな本をたくさん読んで、おもしろそうなLP・CDをたくさん聴いてきたからではないか、という気持ちがどこかにある。これを止めてしまうと、今までのような出会いがなくなるではないか、という危惧が免罪符となり、少ない収入のほとんどを本やCDに使ってきてしまった。

本やCDを買い続けている人は知っているが、幾多の失敗をしないと本当に良いものには出会えない。その精度はだんだん上がってくるが、このインターネットの世界では、以前とは隔絶して、情報は手に入れやすい。情報とお金とが等価になっている。

中南米やヨーロッパの稀少なCDはこのごろ今までと違うルートで手に入る。
マチュピチュ http://www.machupicchu.ne.jp
エル・アージョ http://www.ahora-tyo.com/
ザビエル http://www.x-rec.com/
などを簡単に見つかる。

ビオレータ・パラのスイスでの私的ライブ盤では、ビオレータがフランス語で話しかけ、もの凄いギターを聴かせているし、ペルーのチャブーカ・グランダさんの新発見されたライブも手に入るし、ブパタルで会ったギリシャのサビーナ・ヤナトゥグループのスペインライブの映像が手に入る。海童道の録音もずいぶん聴くことができた。

カネフスキー監督の三本の映画(全ての映画)もつい最近DVDで出た。タデウシュ・カントールの映像も以前では信じられないほど手に入る。アンゲロプロス、タルコフスキーだってほとんど所有できる。小熊秀雄だって、武智鉄二だって、吉田一穂だって、土方巽だって、三木成夫だって簡単に手に入る。

ある演奏家に、ルネッサンスころの音楽を聴きたいと言われ、ごそごそと探す。音楽史上唯一の殺人者作曲家カルロ・ジェズアルド、ロバの祭り(愚者の祭り)下級司祭が年一度、糞尿を撒き散らし、猥歌をがなり立てる音源、グレゴリオ・パニアグアの突き抜けた幾多の音源、混沌を表す「四大元素」、サバールやパンドルフォの新鮮なガンバ、ジャヌカン、ジョスカン、デファイ、バードやギボンズ、などが次から次へと出てきて、思わず長時間聴き入ってしまう。

ポンコツになりつつある身体と頭が動く間、不可抗力の事態になるまで、こういう作業を続けていくのか?それとも、いつか思い「切って」、他の暮らしに移行したい気持ちは確実に増えている。

なぜならこういう情報まみれの生活はきりがないから・・・・

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