16日に東京を脱出し、静岡へ。案外渋滞の残った東名を走らせた。今回はアラン・ダニエルソンというニューヨークの振り付け家・ダンサーの会のゲスト。それにしてもなんでこんなにダンサーの仕事が増えたのでしょうか・・・・特にダンスが大好きというわけでも決してなく、積極的に係わったわけでもなく・・です。(冗談のように、「私が横にいると、ダンサーの身体がより際立って美しく見えるから」だろうか、などと思ったことあります。)
身近で、音楽や即興の話がなかなか通じなかったという長い歴史がありました。やっと通じたのが、音楽よりは、美術やダンス関係者だったわけです。日本の即興シーン(そんなものがあるのか知りませんが・・・)では、フリージャズとの違いさえ区別しない人たちがたくさんいますし、音響系の人たちは、どこか逃げ腰です。
身体という誰もだませない素材、簡単に操作できない素材を扱っている、いや、扱わざるを得ないダンスは、どこか共通する部分・苦労がある?のでしょうか。
やけくそフリージャズのようなやけくそ舞踏、知的音響系のような草食系パフォーマンス風、バレーや日舞がクラシック音楽に相当し、ストリート音楽がストリートダンスに相当する。天才と天才? そう言うのってもう飽きました。だって、何も発展しない。発見が無い。
他のジャンルと一緒にやるときの決まりは、30年前、画家の故大成瓢吉さんと取り決めました。まだ、充分活きています。「お互いがお互いの説明をしない」しかし「ここぞと言う時は、お互いの領域に入っていくことを怖れない」と言うことだけでした。あくまでアナログなわけです。
理想的に言えば、表現方法が違うだけで(絵か、音楽か、ダンスか等々)やりたいことは同じ、という一つの幻想を信じるロマンでしょうか。ロマンというのは、全てかゼロかということ、と説いていた評論家がいました。
他のジャンルと係わって楽しいのは、気持ちが合うひとほど、意外な意見を言ってくれることです。それは時に思わぬエールをもらうようでしたし、自分の本当の姿が写った鏡を見せてくれるようでした。
ダンスと一緒に演奏する時のアドバイス:
1:ダンスを観ること、感じること。目をつむっていてはいけません。
2:良い音楽を作ろうとしないこと。それは音楽だけの時に実現すべきものです。
3:即興でなく、作曲の時は、なにか「足りない」感じにすること。音楽だけで成り立っているとダンスは要らないことになってしまいます。
4:即興か作品かー即興か振り付けか、の割合をなるべく合わせること。
5:自分に足りないチャンスをくれると期待して望むこと。
などでしょうか。
18日が本番です。普段ふれあわない様な人たちとたくさん会います。たくさんの発見と共有が見つかることを願っています。