パリまでの長い長い道

ブルグ・エン・ブレス駅に着くと、列車がキャンセル。一週間前に発表していたと言うが、こちらはずっと旅だし、そんなことはわからない。焦る。振り替え大型バスに乗って、近くの小さな村まで。と言っても楽器はあるしスーツケースはあるし大変。なんとかTER列車にのって、一安心。リヨンにあとすこしというところで、あろうことか、また列車がテクニカルプロブレムということで止まってしまった。また振り替え大型バスに乗り換えやっとリヨン駅。TGVも一時間遅れる。パリには4時間遅れてやっと到着。

私はパリに嫌われているのか。前回は、チューリッヒから車でパリ入り予定だったが、急な大雪で高速が閉鎖。右往左往しながら、車をスイスにおいて、TGVでパリに。地下鉄を乗り継いで(といっても楽器+スーツケース、パリの地下鉄は階段ばかり)日本文化会館に這々の体でたどり着いた。すぐに演奏、それがラジオフランスで流れた。(CDR「CARRE BLEU 」のジャケット写真はそのときのものです。)

ともかくパリ・ガルデリヨン駅に到着、次は、アンスタンシャビエのあるモントレイユまでの足の心配。しかし、ガルデリヨン駅のタクシー係の黒人がとても友好的で、楽器を載せてくれるタクシーをてきぱきと選んでくれた。レゲエシンガーで、中国語も完璧という特異なひとだ。こういう人の出現が旅を楽にしてくれる。アンスタンシャビエに着き、久田舜一郎さんと再会。昨晩は地元の日本人たちと楽しんだようだ。フジモトサトコさんありがとうございました。彼女はハイノケイジ、フランソワ・ポブロスのコンサートもやっています。

用意するまもなく、食事、そして演奏準備。

入り口で、まず、オリヴィエ・マヌーリと再会を喜ぶ、クラシックピアニストの奥方も紹介してくれる。劇団TAO時代にお世話になった門上コウショウさん・ベロニク夫妻と再会、フレデリック・ブロンディと再会、フィリップ・シャトランと再会、そして千恵さん一家と再会、日本からずいぶん苦労して来たようだ。エスパスジャポンで「ミモザの舟に乗って」の山本通代さんのメモリアル会を済ませてすっきりしている感じだったが、旅中の苦労はさぞや、私たちの今日の遅れなどは一気に吹っ飛んでしまうだろう。(エスパスジャポンでは一週間前に岩下徹さんが踊っていて、メールをくれたがすれ違いだった。パリはさすがにいろいろなひとと交錯する。)

久田さんは正装して演奏。ちゃんと能のことを伝えたいと言うことで、正装。高砂などでお祝いムードと厳しい即興。

演奏後、オリヴィエとビールを飲む。宿舎でも飲み続け、話し続ける。オリヴィエの友達に紹介される。彼女はペーター・コバルドのDVDを撮った人。私がこれからペーターのORTでレジデンスになるというとビックリ。ビクトリアヴィルでのペーター追悼ベースカルテットの話もする。

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