歌を

3ヶ月前のジルベルト・ジルのライブ映像が我が家でブームになっている。

2時間ぶっ通してソロを中心に、息子のギターを加えてのライブ。見事です。立派です。お見それしました。すばらしいです。シンプルで力強いリズムが心地よいこと限りなし。6年間、文化大臣としての激務の中、これだけの音楽力をキープしてきたことはスゴイこと。逆に言えば、音楽が支えになって政治をして来たのだろうし、文化大臣の前も地元サルバドールで市会議員をしていることを考えても、しゃれや勢いで政治に関わったのではないのは明らか。

ボブ・マーリーへのトリビュートライブをしたことも、国連総会でジョン・レノンのイマジンを歌ったことも、ニホンのTHE BOOMと島唄を歌ったのも一貫した彼の姿勢だ。このDVD映像には、職を辞し、一回りも二回りも大きくドッシリとしたジルがいる。その姿は、老成して悟っているのではなく、40年前の亡命直前のライブ(カエターノと一緒)の叫びとも断絶していない。ジル世代の守護天使、故エリス・レジーナ、の娘マリア・ヒタが一曲ゲストでゆかりの歌を歌っているのも継続を暖かく表している。

ブラジル音楽では、すばらしい作詞家・作曲家たちが、すばらしい歌を作ってきた。それと並行して、すばらしいギタリスト達がリズムを革新し続けてきた。ガロート、ジョアン・ジルベルト、バーデン・パウエル、ジョアン・ボスコ、エグベルト・ギスモンティ、ハファエル・ハベーロ、ヤマンドゥ・コスタ、アミルトン・ジ・オランダ(彼はバンドリン奏者)などのキラ星天才達が、自分の信じるリズムを時代に刻印して来た。(この中で、いろいろなジャンル、世代に一番通じる大きさを備えていたのがハファエルだろう。が、輸血によるHIV感染で惜しくも亡くなってしまった。)そして、そのすべてを通底するのがサンバ。しかし、その2ビートに縛られてしまい自由を失うことなく、そのリズムの大地(か海か)に乗って、その時々の意匠を凝らしてきた。彼らの音楽はいつ聴いても古びることはないし、ブラジル音楽がいかにも健康なのはそのためだろう。安心してメロディやハーモニーそしてなにより言葉を乗せることができる幸せ。

一見K1ファイターのようなアミルトン・ジ・オランダがライナーノートでこのように言っている。「僕らは今、MPB(ブラジル大衆音楽)の中で、ユニークな時期を生きているように思う。・・略・・今はヴァーチュオーソの時代だという確信がある。これは一時の流行ではない・・・・略・・・・最重要なブラジルインストゥルメント音楽家たちを基礎に置いて、これらの若者達が、意識することなく正統で本物の道を創り上げている。」何という自信。何という誇り。

一方アルゼンチンでは、ロックやパンクを同時代として体験している演奏家達がタンゴの黄金時代の典型的なオルケスタ・ティピカの楽団編成を再編して、オズワルド・プグリエーセの究極の2ビート・ジュンバ(yumba)を中心にしたタンゴを誇り高く演奏している。そしてそんな楽団がいくつも生まれているという。その中のひとつ「フェルナンド・フィエロ楽団」は、フェルナンド・フィエロという架空のリーダーを幻視したものだ。メンバーは長髪だったり、ガスマスクを付けていたり、ハチャメチャな外見をしているが、リズムはジュンバなのだ。ありがちなピアソラビートではないとことが注目される。

歌が生まれる基礎はリズム(なのだろうか?)

新宿西口フォークゲリラのころのフォークソングは、アメリカのカントリーやフォークソングのリズムやコード進行を使っていた。そのため独自の道に発展することなく演歌や歌謡曲に吸収されていった。言葉の持つリズムに近いものの方が強いのだ。「フォークの神様」岡林信康は、「えんやとっと」のビートを韓国と結びつけたところで大きく取り上げたと聞いた。私は、子育ての時に、言葉をろくにしゃべることができない娘が嬉々としてお祭りの太鼓に合わせ隊列に加わって踊っていたことを忘れられない。

「独自のリズム」など面倒なことを言わずに、亡くなるまでスタイルを変えずにアメリカカントリー音楽風をやりつづけた高田渡の歌の力、エノケンやクレージーキャッツのジャズ、桑田佳祐の日本語に乗っているのだか、いないのだか判らぬロック、それらは力がありそれぞれの方法で浸透していった。「にほん」が始まる前から外から来る文物や「まれびと」に旺盛な興味を示し、取り入れて続けてきたこの島に住む人間の性なのか。学ぶことは真似ること。本物、偽物は問題にならない?

歌いたい気持ち、自分たちの歌が欲しいという気持ちが持続している間は、どこかに道はあるはずと思いたい。リズムより先に、歌うべき詩・詞が必要、いや信じるに足る言葉・愛情・人生が必要なのだろう。

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