12と13

中国の「瑟」(しつ)が25絃で、それを2つに分けてカヤグムの12絃、箏の13絃にしたという伝説を以前書きました。

この12と13は、複雑かつ大切なヒントを含んでいる気がしてきました。(まるで日韓関係のようです?)12というのは、1.2.3.4.6で割ることができ、還暦が12×5、干支が12支、1年12ヶ月、1日24時間、1時間60分、1分60秒となっていて、時を表すものの基本になっています。

しかし、閏年があるように、本当は微妙に割り切れないもの。月齢を元に1ヶ月を28日にして1年を13ヶ月にするほうが、スムーズに行くことがあるような気がします。

月に従うのをやめ、断然大きな太陽に従うことを決めてしまった。大きな権力に従うほうがわかりやすく、便利で、普遍性が高い。しかし矛盾はあらかじめ内包されていて、例外を作ってなんとか力尽くで納めている。律令制度の「律」は音律の律、国を治める大本だったそうです。税金もなにも基本単位からきまってくるのです。うむを言わさぬ権力とそれを支える音。

そういえば、1オクターブを12で割るという平均率も実は、ハッキリ割り切れません。西洋や中国で古来、その矛盾を納める方法が考えられてきました。純生律の自然なチューニングを聴くと、ココロがフーッと吸われていくような気がします。身体の中の記憶、生命体としての身体には、純生律に反応する部分が残っているのでしょう。

韓国のクッコリの12拍子は大きく揺れる円運動の永久運動になり、矛盾を簡単に内包できるように思います。そして、円運動の勢いでその矛盾を飛ばしてしまう。フラメンコの12拍子は11拍目、12拍目から数えることにより、始動の位置が動き、いつのまにか永遠円運動に寄り添っていくイメージがあります。

身体に貯蔵されている記憶は、13になりたかった要素も12の中に矛盾を含めて内包できるのではないでしょうか。12と13の間で生じる「うなり」は命のノイズとなって割り切れない「気」となるのです。これを整理整頓してはいけない。これが命の源なのかもしれない。心拍が整いすぎている胎児は健康でないことが多いといいます。美は乱調にあり。

いざ、ポレポレ坐へ行ってきます。

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