箏の独自性・螺鈿隊

箏の練習場へ行くと、コンサート用に運ばれる前の楽器が並んでいたりする。そこには大きく「○○、□□」と書いてあり、○は名前、□は曲名。つまりある曲を弾くための楽器というわけです。箏と琴の違いで書いたように、箏は箏柱(ことじ・駒)を移動して音程を変えます。それは八橋検校(京都の銘菓もこの人の名前から)の業績ということだそうです。しかし曲の間にめったやたらに変える訳にもいかないため、しっかりと調弦した状態でコンサートに備えるのでしょう。

うむ、箏は、一曲に対して一つの楽器というのが、本来。コントラバス1本で西洋クラシック、ジャズ、タンゴ、邦楽、即興、なんでもやるのが当たり前の環境とは全く違います。

そして糸締め、調弦も、専門家に任せることが普通のようになっているようです。海外で活躍している奏者が糸締めのために専門家を呼ぶと言うし、何十面もの合奏の調弦を任されたときの大変さを聞いたことがあります。

また、本来の箏の譜面は、五線譜ではなく、箏譜といって数字と漢字を縦書きにしています。五線譜で書かれた譜面を箏譜に書き直して演奏したり、頭の中で置き換えて演奏したりしているようです。

すなわち、全く!違う状況にある。「育ってきた環境が違うから、すれ違いは否めない」訳です。そんな環境の中で、私の書いた曲などを「よくもまあ、やってくれる」というのが、客観的に言って正しいのでしょう。(琉球国の伝統を持ちながらも日本語を話してくれている琉球の人との対比を思いついた。ちょっと違うか・・・・)

箏弾きが箏の曲を書く場合や、伝統に則って曲を書く場合は、調弦を初めから指定していることがほとんど。それが作曲家としての礼儀でしょう。しかし私の場合は、それらを全く無視してしまう、アアハハハハ 冷や汗タラ~リ。ただ一つの言い訳は、優秀な奏者が何とか弾こうとするときに、面白いことが起こる可能性が高いということ、そして、そんなウハウハなおいしい経験を幾つかしてしまっています。コントラバス弾きがコントラバスの曲を書くと楽器を知っているが故に、楽器の機能を重視したものになりがちで、結果、あんまり面白くないことが多い。反省を込めてそう思います。

沢井一門のフレキシブルな人たちに甘えてなんとか成り立っているというのが、本当のところ。四重奏で書いても、大体の場合四人が調弦が違う。私はそこを狙ったりする訳です。リズムと音程の高低だけを記譜しておくと、メチャメチャ面白い結果になる。とても五線に正確に書くことのできない複雑で、ハチャメチャで、偶然性にあふれた生き生きした音が出てくる。同じような効果をねらったものを尊敬するキューバの作曲家レオ・ブローウェルの近作に見つけました。彼はもちろん全部書いているのでしょううが・・・・・

結果、私の曲では、「曲の間でめったやたらに調弦を変える訳にもいかない」はずの箏を、めったやたらに調弦するしかない場面が多々あります。そのつなぎをどうする?なんて話をしています。

ともかく螺鈿隊の何も恐れぬ度胸? 何があろうと、音楽を楽しんでしまえという宿命? そのために生きてまんねんという狂気? 彼らに会う度に、保守化してしまいがちな私を激励してくれます。きっと聴いた人もそう思うに違いありません。

というわけで、ポレポレ坐 どうぞよろしくお願いいたします。
選挙じゃないけど、最後のお願いに参りました?

『徹の部屋 vol.3 オンバク・ヒタム 四匹の竜と』
日時:7月17日(金) 18:30open /19:30start
場所:Space&cafe ポレポレ坐 (東中野駅徒歩1分)
料金:前売3000円/当日3500円 (要ワンオーダー)
出演:齋藤徹(コントラバス)
   螺鈿隊(箏、17絃、ほか)
ご予約:ポレポレ坐 tel 03-3227-1405/event@polepoletimes.jp

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