オンバク・ヒタム(4)

サブ・ステーションでの公演の後、「あの眼、いいね。動物の眼。」と沢井一恵さんと共感した眼の持ち主がザイ・クーニンだった。(↑写真:岡本太郎美術館でのザイ・クーニン 撮影・南谷洋策)

公演での収穫の1つは、東と西との差の確認だった。「何を今更」と、言われるかもしれないが、大事な確認だった。東と西との共有部分、例えば、西洋での「近代」以前、さらにはもっと遡って「キリスト教」以前に、多くの共有部分があるのではないか、ということは、インプロヴィゼーションの面白い課題かもしれない。

しかし、現場ではまず、東西の「差」が明瞭に立ちはだかる。「上」に向かって「個人」を解放しようとする西と、「下」に向かって降りていき、降りきったところで「みんな」で解放しようとする東が見えてしまう。それはとりもなおさず、アジアの共通項の確認でもある。韓国シャーマンもマレーシャーマンも日本人演奏家にも、アニミズム的な感覚、アナーキーな感覚の共有感があった。上下よりも水平な感覚。一方、「自由」なはずのヨーロッパインプロバイザーのアジア人スタッフに対する応対に失望したりした。

「あの人と時間を多く過ごしなさい」とザイの父親が私のことを言ったという。シャーマン家系にありそうな逸話だ。沢井一恵さん、森田純一さんなどの同感もあり、ザイとの関係が始まった。この公演以降、ソロで二回、井野さんとのデュオで一回、シンガポールを訪れる。池袋の簡易モスクでザイの婚姻の証人になったのは、私の家族と岸田理生だった。なつかしい想い出だ。

アジアの旅では、「バカヤロ!」と「海ゆかば」が通過儀礼になることが多い。憎しみと軽蔑がつまった言い方の「バカヤロ!」には、本当に背筋がゾッとする。日本語というと「バカヤロ」、日本の歌というと「海ゆかば」なのだ。戦争を経験していない若い世代にも、親から家族から伝わっている!フランスのインプロフェスティバルの楽屋でも「バカヤロ」を聞いた。台湾出身の若い女性美術家だった。

早速、ザイの父親からもその言葉を聴いた。シンガポールのマレー人はそもそも差別されている上に、シャーマンの家系だともっと差別される。ほとんどの儀式、それにともなう歌・踊りが禁止され、結婚式の歌のみが残された。それでは、生活ができないので、アルバイトをしなければならない。お宅を訪ねたとき、まずディープな骨髄の料理が出てきた。試されているような感じ。おいしくいただく。同じものを食べる、出されたものを食べることはすべての始まりだ。ムスリムなので、お酒を持っていくわけにはいかず、日本のタバコを差し上げ、火をつける。そういうことを重ねていく内にだんだんと認められていく感じ。

オンバク・ヒタムの地域は、大東亜共栄圏に重なる部分が多い。その土地ですでに差別を受けていた韓国・マレーのシャーマン達には、八紘一宇の思想は関係のない遠い話だったろう。それが、捻れ曲がって近い話となり、金石出氏は植民地時代に初めて学校に行けた。そういう低い視点を維持し、注意深くしていなければ、オンバク・ヒタムは語れないだろう。

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