最後の授業

旭川『モケラモケラ』裏にあるアイヌの聖山・嵐山とオサラッペ川 写真:モケラ峰子

暖かい?北海道より帰りました。共演した瀬尾高志によると、かれの30年の歴史の中で一番寒くない冬だそうです。世界中で頻発している異常気象にだんだんと驚かなくなっているおかしな地球人。ん?似たような話。小樽のライブで聞いたところによると、先日までイージス艦が入港し、一般公開もされていたそうです。この灰色のレーザー艦がここにいることが不自然でなくなるためという目的もあるそうな。

五井さんは美術家で、江差・稚内の特殊学級をずっと担当して定年を迎えました。その記念で行われる「最後の授業」。このために選曲・採譜した曲達は、ほとんどが歌詞を持つ歌でした。リハーサルでその問題が多く出てきます。

歌詞や歌手を知っている人には親しい歌が、歌詞なしで演奏されるとどうなるのか?歌詞なしの楽曲を和音進行に沿ってアドリブする(ジャズでは、当たり前)ことは果たして意味があるのか?五井先生が与えてくれた課題と解釈しました。「好きな音楽と自分の演奏する音楽は違う」と常々思っていることとの軋轢。

とりあえず、モケラでは、訳詞をプリントして渡すことにしました。実際に演奏できないであろうものも含めました。前回ブログに書いたようにその課程でもいろいろ発見がありました。チェ・タンゴ・チェ、ブレヒトとブレルの間で、ありがとう命、つばめ、蛇たちを夢見て、トラヴェシーア、暗いはしけ、鳳仙花、夢見る人などなど演奏時間の倍ほどの候補曲が上がりました。

私のテーマであり北海道とも関わる「オンバクヒタム」は是非聴いてもらいたかったし、テクニックを封印した横寝かせ奏法もやりたい。また、Deep Tones for Peaceのプロジェクトに参加すべく毎回 ”Invitation” を演奏し、ガザでの戦争をその場にいる人達と考えたい。

五井先生の「最後の授業」では、かつて教科書に載っていて、削除されたアルフォンス・ドーデ作の「最後の授業」が取り上げられました。会場には、全国からかつての教え子と同僚教師が集っています。母語と母国語、戦争と植民地支配と言語などのトピックが自然に熱く語られました。

その授業の直後に演奏。流れに従い授業関連で曲目が選ばれていきます。岸田理生さんの演劇「空・ハヌル・ランギット」はコトバを奪われた人達が描かれていました。そのテーマとして作曲した「街」。朝鮮半島での植民地支配と皇民化教育そして金石出さんたち被差別シャーマンの話から「鳳仙花」もやらねば、と採用決定。

思えば、「最後の授業」の舞台、アルザス・ロレーヌ地方で私は人種差別を受け、レストランを追い出されたことがありました。つい数年前のことです。能の小鼓の久田舜一郎さん、ミッシェル・ドネダと一緒でした。ミッシェルが「本当にすまないことをした。でもこの地方はフランスの中でも特殊なんだよ。」と言っていたのを思い出しました。私たちに無関係な話ではなく、ちょっと動けばすぐにぶち当たる問題なのです。

戦争、差別、コトバ、歌、音楽、仕事、親子、仲間、教育、すべて人間のやることです。暖冬さえその文脈でとらえることもできるでしょう。前日、近所の養護学校の子供二人と一緒に音遊びをして、音について多くの発見がありました。清々しい時間でした。「信じること」の尊さ。正しい優先順位とは?今・ここで、そのためには何をしなければならないのか?北の大地はやはり試される大地でした。

「わたしは『戦ってきた』と言われるけれど、本当は、背伸びをして、やせ我慢をしてきただけです。でもそうせざるを得なかった。」という言葉を残してゴイッチョはツバメのように胸を張って去っていきました。長い間お疲れ様でした。

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