我らがゴイッチョ(五井道義先生2008/9/19のブログ参照)の最後の授業のために厳寒の北海道に行くことになった。瀬尾高志とデュオで最後の授業の後にライブでお祝い。そのブログで紹介したシルビオ・ロドリゲスの「蛇を夢見て」とか、ミルトン・ナシメントの「トラヴェシア」、ゴイッチョの好きなミルバ・ピアソラのレパートリーから幾つかを採譜してみる。
どれも歌詞がすばらしい。レーベルの名前にも使わせていただいているトラヴェシアの英語の歌詞とポルトガル語の歌詞があまりにも違うので唖然。どういうこと?「上を向いて歩こう」が海外で大ヒットしたときに題名を「SUKIYAKI」にした話は有名だが、歌詞は替えてなかったようだ。
ブラジル音楽で言うと、トム・ジョビンとジョアン・ジルベルトとの間に起きた問題が印象的だ。決して英語で歌わないジョアンと英語に替えてフランク・シナトラとさえ共演したジョビン。スタン・ゲッツとのアメリカでの最初の大ヒットLPの録音の時も、いろいろと画策してアストラットに英語で歌わせたテークを使ったと言う。(ジョビンの音楽性は20世紀の代表的作曲家として疑う余地もなく、私の日常生活でも本当に役に立たせていただいています。本当に素晴らしい。)
こういう問題は高場将美さんに聞くしかない。というわけで連絡。明日17日に高田馬場「オレ」で峰さんとデュオがあり(http://mariemine.web.fc2.com/activity.html)、それが終わったら返事をくださるそうだ。ありがたい。高場さんのメールのフットに峰さんとの映像のURLがあり、そこに人類の宝のようなさまざまな歌が80曲以上リンクされています。要チェックですぜ。http://jp.youtube.com/user/marie6masami
私はこのところ毎日リハーサルの日々。20日に六本木スーパーデラックス用。それにしても彼ら(スイス人2名、フランス人、ドイツ人各一名)は余裕を持って仕事をする。即興が中心なのに一日7時間5日間のリハーサルを取って来た。初回終了後、その3分の1くらいで済みそうな情勢になったので減ってく傾向。日本人同士で即興の場合はまずリハーサルはしない。ジャズ系の場合はその日の演奏前にチャチャっと済ますことが多い。新鮮な気分を保ちたい、ということと同時に「必要最低限」でやることが良いとされている傾向が今の日本に広まっているのではないかと思う。
お互いを知ること(当然、気がつかなかった自分を知ることにもなる)、ゆっくりと話をすること、本番同様の一時間半の演奏を真剣に毎日やる、フッと気がつくことをもう一回やってみること、などの重要性を感じた。出会い頭の新鮮さに頼らない奥の深さなのだろうか。自分を追い込み、相手を追い込む。所謂「良い演奏」などは当たり前。ある意味欲が深い。どんなに破綻してもその先がみたいのか。「必要最低限」ではそれなりのことにしか成らないことを知っている。
ピアノのジャック・ディミエ、クラリネットとヴォイスのイザベル・デュトアhttp://benoit.cancoin.neuf.fr/trio2.htm ふたりとも楽器をイヤって言うほどマスターしたあとにインプロをしている。ヴォイスのクリスチャン・ケステン(http://www.christiankesten.de/biography_e.htm)を含め三人とも現代音楽の経験が長い。また三人ともエレクトリックへの関与が少ないことも共通している。行くところまで行ってしまった出口のないヨーロッパの楽器演奏の果てとも言えるが、支えているものの巨大さからくる説得力がある。楽器を持たない時にお前はどうする?という問いをした海童道老師に全く違う角度から近づいているのか?