暮れ30日、水谷隆子さんを偲ぶ会がスタジオESで行われた。早すぎる死、7年間の闘病と演奏生活、最後の参加グループⅢZ+(日本・韓国・中国、3カ国のZitherのアンサンブル)のこと、様々な思い出、多くの友人・知人(タイからも)が集まった。
最初に私に音を出して欲しいという一恵師匠の依頼で演奏。一恵さん、工藤丈輝などが途中で加わる。思えば工藤とは、癌研の病室で残り少ない命の友人のために演奏したことがある。音楽やダンスの本来の役目なのだろう。10日ほど前のデュオ、舞台上、工藤と私が横たえたベースと共に横になった。笑い声も起こっていたが私たちには追悼だった。
隆子さんは、亡くなる時に、腕を空に上げて箏を弾く動作をしたそうだ。とっさに友人が箏爪を付けたという。楽器を弾きながら逝った。その話を聞いたミッシェル・ドネダ(何回か共演した)は、 非常に感銘を受け、人生の大きなレッスンです、とメールをくれた。
同じく共演をしたザイ・クーニンもシンガポールからメールで詩を送ってきた。拙訳↓
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みんなの眼は、空高く凧がダンスするのに惹きつけられている
これ以上ないほど高く 糸でしっかりと繋がって
少年が操っていることはわかっているけど
糸の元にいる彼のことを気にかける人はほとんどいない
少年と凧をむすぶ長い長い糸
そこに、聴いてもらうためでない音が鳴っている
翼ははためき、糸は震える
曲とか歌とは言えないだろう
じゃあ、少年と凧は何に合わせて踊っているのだろう?
友よ、僕たちを似たもの同士にしているものって何だろう?
僕らは糸しだいなんだ
いつもいつも待ってばかりいる釣り人
待てば待つほど、海は深くなり
風に乗る糸も待てば待つほど長くなる
糸が歌うためには少年と凧が必要
ちょっと憂鬱になるけど、僕らは糸の歌なのかも知れない
みんなが言うように、自由なんかじゃない、
でも、僕らを決して止めることは出来ない、風を止めることは出来ないように
おお、友よ
風が吹いている間
糸は震え続ける
糸と風の間に秘密は隠れている
そして、そこで僕らはまた出会うんだ
ザイ・クーニン 2008年12月29日 水谷隆子を偲ぶ会のために
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彼女は3年くらい、折りを見つけては友人・知人に会っていたという。サヨナラの挨拶をしていたのかもしれない。それは(たまたま)生きている私たちも同様。
「勸君金屈巵、満酌不須辞 花發多風雨、人生足別離」(于武陵)
コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガセテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ (井伏鱒二訳)