ニースとメヒコ

ジャン・サスポータスのワークショップの発表会を観に行く。この年末にパパになる彼の奥方のために水天宮へ行き御札と腹帯を求め彼に渡す。犬好きの彼は大喜び。「いやいや、本当に頭が下がりますよ」とセッションハウスの伊藤さんに言わせるほどジャンさんは参加者一人一人のことを考え抜いた舞台を作った。暑い中ご苦労様でした。私の作曲の二週間とちょうど重なっていたので何か共感がある。

最後のシーンは全員が歳を取ったシーン、「お年寄り達が楽しく歌い・踊る世の中でありたい、そしてそうしたいという願いです」と言うことでした。なるほどその通りですね。全体を支配しているのが慈愛と赤塚不二夫さん言うところの「これでいいのだ」。言い訳でなく、後付でなく、ありのままを受け入れると言う姿勢。しかし、戦うときは戦うのだ。

ジャンさんというと、私は不思議にトニー・ガトリフ監督の映画「モンド・海を見たことのなかった少年」を思い出す。原作がジャン・マリー・グスタボ・ル・クレジオ。(日本ではル・クレジオで通っている。)ジャン繋がり。

カサブランカで18歳まで過ごしたジャン・ローレン・サスポータスさんはその後、実際に「モンド」の舞台ニースで暮らした。ル・クレジオの奥さんはモロッコ生まれのベルベル人という。ル・クレジオにとってのアフリカは親子関係含めてとても大きいようだ。ジャンも映画「約束の旅路」が人ごとに思えないと言っている。

ジャズをよく聴いていた時代、デューク・エリントンやチャールス・ミンガスのアンチーブフェスティバルでのライブを本当によく聴いたものだ。(アンチーブはニースとカンヌの間にあります。)エリントンでは、「ラ・プルベール・アフリカーン」というジョン・ラムのベースを大々的にフィーチャーした曲が大好きだった。その時の映像を観ると、ホアン・ミロがエリントンを案内したり、ジャコメッティの巨大な彫刻の中でエリントンのピアノが猛烈にスウィングするシーンが良い。ミンガスでいうと、ガット弦ベースの音が彼の録音の中でも最もよく録れているものの一つなので愛聴した。これも最近映像を観たが、名楽器ではなく何処にでもあるベニヤっぽい楽器だった。うーむ。当時はどうやって楽器を運んでいたのだろう?なんて、すぐに考えてしまう。

この9月に現代詩の会で野村喜和夫さんとメキシコに行くことになっているので、メキシコ関係ものを少し気にして調べている。一番面白いのがル・クレジオだった。アントナン・アルトーのメキシコ滞在を調査するために興味を持ったらしいが、アルトーの何倍もメキシコに入り込み、精密な調査をくりひろげ(三菱の車を使ったという。)家も買ったそうだ。日本のグループ「パパタラフマラ」もフランスのインプロCDレーベル「ポトラッチ」もこのあたりから取ったネーミングだろう。

カルチエ・ブレッソンのメキシコ写真集や、カルロス・カスタネダの諸作もいい。何回か共演させてもらった黒沼ユリ子さんはメキシコ在住のはず。ミンガスも死ぬ前にメキシコのシャーマンに診てもらったそうだし、「メキシコの想い出」という名盤もある。バール・フィリップスさんのお母さんはニューメキシコに住んでいたし、フレデリック・ブロンディに紹介された90歳近いチャベーラ・ヴァルガスさん(フリーダ・カーロとも深い仲だったそうだ。)の歌も思い出した。高場さん峰さんは8/30にアップリンクでメキシコ特集をやるそうだし・・・・・などなど私の周りはメヒコ色が強くなってきている。

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