千恵の輪・夏

千恵の輪ツアーから二ヶ月、湯布院での再会が決まった。湯布院の駅構内(磯崎新設計)で乾千恵さんの個展があり、私もお呼ばれしソロを演奏することになった。新たなる千恵の輪の広がりになる。

耳の病気退院後の初仕事が大阪千林の「やどかり御殿」での鈴木昭男さんとのデュオだった。大正時代から残っている長屋でのライブ、その時、千恵さんも来てくれた。翌日の琵琶湖ホールでのシューベルト「鱒」(黒沼ユリ子アンサンブル)にも来てくれた。三日目は京都町中の歯科医院待合室でのソロという三日間全く違う状況でのツアーだった。演奏活動が続けられるかどうかさえあやふやなときだったため、よく覚えている。人の情けが身にしみた。

やどかり御殿の野中タンポポさんは、その直後に別府に引っ越した。引っ越し先の隠山から一通の手紙が来た。「雨にも負けず」の詩に加筆して「ソウイウヒトニワタシハナッタ」と書いてきた。その紙だけ残っていて住所などは無くなっていた。

湯布院に行くなら連絡を取りたい,と思った。たどり着く方法がないものか、と丁寧にネット検索をかけた。ある喫茶店ブログにそれらしい単語をヒット。コメントの欄に「もしかして・・・・」と質問をすると、翌日本人から電話がかかってきた。ネットも役に立つ。湯布院の後、隠山も訪ねてみることになった。すんでいる「組」は15世帯あり13世帯が同じ姓だそうだ。

腰の具合もだいぶ良くなってきたので三ヶ月ぶりに散歩を再開。千恵の輪ツアーに備えてツアーをシミュレーションしながら歩いた道が梅雨の緑に覆われています。この間、世界では大規模な天変地異がいくつも起こり、建設中だったおしゃれなアパートはほとんど満室、三人のホームレスはそのままの生活の柄。秋からは、夏からは、このままではいられない、という気持ちは私も同様。「フリーチベット」を報道していたテレビが「北京でのメダル」を国是?のように騒ぎ、通り魔の精神分析に時間を費やす。

オリンピックが強く政治的であることは私の世代では常識だ。東京オリンピックの時、優勝した陸上の黒人選手が星条旗にこぶしをあげ、一瞥も与えなかった。小学生の私でさえ、何か大事なことが起こっていると感じた。モスクワオリンピックに「日本国」として不参加を決め、多くの選手が悔しくて泣いている映像もよく覚えている。カール・ルイスがマイケル・ジャクソンになろうとし、マイケル・ジャクソンがだんだん白くなっていく。メディアはますます水戸黄門化が進む。弱者の味方のふりをし、権力を批判するふりをして視聴率を稼ぐ・・・みのもんた。

激しく変化する世の中、膨大な情報に目を奪われウロウロしてしまう。千恵の輪の広がりのようなゆったりとしていてしかも確実なもの、変わらぬものを大事にしていきたいと思うことしきり・・・・・・・別府から帰る日、憲法9条の会での演奏依頼がきた。

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