絵と踊りと音との旅 その2

部屋から山が見えるのは、とても豊かな気持ちになれる。快晴。海も見えている。これが日常であるのと無いのとでは大いに違うだろうな~などつらつら思う。

広島でいつも主催をしてくれる画家の黒田さんと昼食。来年の企画(ジャン・サスポータス+オリヴィエ・マヌーリ+テツ)の進行状況など説明。黒田さんの馴染みの画廊も訪ねる。朝からおでんにアルコールOKというディープな場所、洒脱なご主人。日本各地独自のスタイルでの表現活動を見るのは楽しい。カウンターにいた女性の息子さんは5弦ベースをやっているという。私のよく知る代々木のベースショップまで買いに行ったとのこと。世の中偶然に満ちている。

会場に行く。同じホテル内なのでとても楽だ。今日はホテル内教会のチャペルでやる。結婚式用に作ったものだろう。床は白い硬い石で覆われている。横二面には日比野克彦さんのペインティングが大きく描かれている。私が「INVITATION」を作曲したのは劇団「太虚・TAO」の「ブラック・プディング」(ガルシア・ロルカ作)の時。まだ「売れていない」日比野さんと一緒だった。読谷村の子供達がたいまつを持って合唱するというシーンのためだった。(沖縄公演はキャンセルになり、東京のみになってしまったが・・・)

岩下徹さん、到着していつもの入念な準備運動を黙々と進める。大阪での共演後、これまた入念な身体ほぐし体操をしていたのは印象的だった。身体を客観的にみているのか。身体に対する所有感というものが薄いのかもしれない。それこそプロ。彼は自分の踊りを「即興ダンス」と呼んでいる。即興という方法をとても大事に考えている。

いつか「徹(てつ)と徹(とおる)の即興」という対談集か往復書簡を作ろうかと笑いながら話したことがある。世の中での「即興」に対する考えがどうもいい加減すぎる、と思っている。特に興味を持っている若い人にはキチンと伝えたい。そういえば、かつてテレビで「即興」をテーマに5日間番組を担当したことがあった。(公園通りで会いましょう)。日替わりゲストとして岩下さんと小林さんに来てもらっていたのだった。ことし「いずるば」でのミッシェル・ドネダ+小林裕児+岩下徹+齋藤徹はとてもすばらしかった。完全に新たな地平を開いた気がした。共演するのが「楽しみ」というより「必要」な時期なのだろうか。

小林裕児さんは壁にビニールを貼り、会場を汚さない養生をしている。十字架を紙で隠す。早稲田奉仕園でダンサーと共演したことがある。この時は十字架をはずした。この女性ダンサーは服を一切着ないシーンがあり若かった私はドキドキした。教会・お寺それぞれみんなの集まる場所、いろんなことをして遊ぶ場所であっていい。

割高な入場料だが多くの熱心な聴衆・観衆が集まってくれている。開演、三人の信頼が強く、ごく自然に流れていく。どんどん加速する岩下さん。このスピードで動くダンサーを私は知らない。開演前、原爆ドーム、原爆資料館を訪れた小林さんは当然、絵に反映する。まず、十字架を黒い粉末で透かし取っている。そして、下に描かれているものは瓦礫だ。三人とも、緊張感の中でもリラックスしている。聴衆から時々、笑いが漏れる。「ユーモア」とは「人間」そしてその語源は「おへそ」。瓦礫の絵の前で岩下さんが横になる。私は隣に楽器を寝かせる。そして、そのまま私自身も横になった。寝ているのか、死体か、おどけているのか、判然としない。どれでもあり、どれでもない。

小林さんの二枚目の絵はきわどい性的モチーフから始まっている。普段と何かが違っているようだ。それがはっきりわかったのは5分くらいたったころ。突然真っ赤な絵の具を使い、いままでになかった激しさで、声を伴って、画面全体に斑点を打ち付け始めたのだ。これは血か。しばらく制作が続いたが、これまた突然「もう終わっちゃった」と発言。

場内爆笑。40分の予定が半分で絵は完成してしまっていた。しかし岩下さんと私はまだ終わっていない。後はお祭りしかないとばかりに、サンバの強烈な二拍子で岩下さんを転がす。そしてリディアン旋法のメロディ。小林さんは、岩下さんの腕に紫の目玉二つ、私の腕にピンクの唇を描く。それらが合わさって最終的に顔になったときに終演を迎えた。「混沌」に目鼻を与えたら「混沌」は死んでしまった、という話を思い出す。表現とは「喜怒哀楽」でなく「生死」だ。

打ち上げでは、普段寡黙な岩下さんからもいろいろ話を伺うことが出来た。カルバドスがうまい。

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