ジャン・テツデュオその5

昨年のジャンとのツアーは、初回だったこともあり、国内を大きく移動したこともあり、大ホール公演もありの言ってみれば「よそ行き」のツアーだったとすれば、今回は首都圏のみの「普段着」ツアーだったと言えるだろう。

「裕児さんと一緒のところは、いつもきれいの所です」というジャンの日本語の通り最終日は日曜・午後・渋谷・東急文化村ギャラリー・多くの聴衆。多くの優秀なスタッフがテキパキ仕事をしている。小林裕児さんの個展会場でのライブペインティング。今までの場所とは違う空気だ。しかしこちらは何の違いもなくいつも通りの空気を貫く。華やかな場所というのは、もともと苦手なのだが、多くの人やモノが動き、交差すると、思わぬことが起こりやすいというメリットがある。時々は顔を出しておくのも良いのかもしれない。

ジャンと私のデュオというシンプルな関係性から、ライブペインティングあり、もう一人ダンサーがいるという複雑なベクトルが交差する。小林裕児さんの推薦の上村なおかさんとジャンは初対面。日本のダンサーと即興するのは初めて。

事前に決めたことは、1時間以上やりましょう、ということだけ。私は「みんなのレフリー役」と推察。まず最初、イニシエーションのように私にペインティングしてから始まった。

思った以上に二人のダンサーの関係が気になる。独立した4者というよりは、絵・ダンス・音という3つの要素で捉えた方が良いことを見つける。あからさまにワルツやタンゴやミロンガなどのダンスリズムを弾いてみたり、私も寝っ転がってみたり、あっと言う間の1時間20分だった。

長いことこういう仕事をしていると会場で意外な人に再会する。30年前に私塾でバイトをしていた時の生徒さんがやってきた。そこまではありえる話だが、な、な、な、なんとその人が小林裕児さんと共同作業(額からはみ出るようなガラス制作)をしている佐野曜子さんというガラス作家なのだった。いろいろな話で一気に30年遡ってしまった。目がくらくらした。↓「先生はその時から、本当は音楽をやりたいっておっしゃっていました。」と。「せんせい、は止めてよ」と言いながら、そうだったのか・・・・・・・・

もう一人会いに来たのは、私がアスベスト館で「アイコンとしての身体」というワークショップで「身体と音」というコースをやっていたときの受講生。その人は今日の出演者上村なおかさんと踊っているという。続けているのだ。大野一雄さんが校長、太田省吾さんも講師をしていた。舞踏のことなど全くわからないので固辞した。「舞踏」の露悪的な所がわからないし、苦手なんですよというと、土方は本当のユーモアがあったのよ、何の問題もない、大丈夫よと聞く耳持たず。思えば、それからいろいろなダンスとの関係が始まった。審査員までした。そしてジャンとの出会いもあったと思えばありがたいことだったのだな~と感慨深い。

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