ジャン・テツデュオ その2

京都旅行をしてきたジャン。自転車で裏道を楽しんできたという。若い頃、800ccの大型バイクに愛犬を乗せて移動するジャンはヨーロッパ各地の劇場で有名だったそうだ。アウトドアを楽しみながら感覚を磨くことをとても大事にしている。見習うべき。スキーや乗馬(ジンガロのボスとも旧知の仲)も得意。なんとうらやましい生活をしてきたことだろう。

朝、一緒に散歩に出かけた。このあたりは勿論散歩に適したコースはほとんど無い。私がよく歩く(笹塚~大山~幡ヶ谷~初台)を選択。私の通っていた小学校を通り初台に着くとすぐ喧噪に戻る。オペラシティでの展示を見ようかとも思ったがあまりのテクノな建物にジャンが辟易してパス。商店街で作務衣を見つけ、店主のうんちくを聞きながら2着購入。我が家で焼き魚・納豆・酢の物・玄米・味噌汁の健康昼食。英字新聞とBSで英・仏・西・独語のニュースをチェック、これもジャンらしい。その後planB でリハーサル。和歌山から西陽子さんも駆けつけ打ち合わせ。初対面の西さんも段々とうち解けてきて翌日への期待も高まる。

前半3つのデュオ、後半トリオという「民主的」な構成。ジャン・テツデュオで始める。planBを牢獄に見立てたジャン。わざと髭も剃らないという細かい演出をしている。アンゲロプロスの初期の作品で、二重スパイが牢獄に立てこもり、政府側に出した要求が「音楽を!」中庭でタンゴのレコードをかける。私は、このシーンに惹かれていた。箏アンサンブル「螺鈿隊」からの委嘱でも、四つの独房からの四つの歌がきれいに響いたり、壊れていったりというものを作ったことがある。独房での果てないの時間にヒトは歌を歌うのか、オンガクが必要なのか。ともあれ、私はピアソラを3曲弾いた。

続いて私と西さんのデュオ。今の二人でやるとなると、どうしても高田和子さん、太田省吾さんの思い出が強く、京都造形芸大の委嘱での「帰ってきた糸」で作った曲を選んだ。西さんのイノセントな即興がみずみずしい。髭もきれいに剃ったジャンがこざっぱりした身なりで登場。ビオレータ・パラの「人生よありがとう」。西さんに朗読してもらい、ジャンも踊り、私がメロディを弾いた。追悼の意をジャンも分かち合いたいというのでこうなった。得難い友だ。ジャンとの出会いもピーター・コバルトの死から始まっている。

西陽子さんとジャンとのデュオ、床に置いた箏での「六段」から始まった。ジャンは横になっている。微妙な動き。引き続き、松井茂さんの詩を歌いながらの連作。西さんの澄んだ声が会場に染み渡っていった。終演後会場から満足のため息が漏れていた。

後半トリオは、即興で。リズム・ノイズ・メロディ・無音が交錯する。全体にわたって壁に貼った乾千恵さんの書「樹」と「扉」が会場の空気を作ってくれていた。旭川、広島からもお客様が駆けつけてくれとても暖かな会場だったのも嬉しく感謝に堪えない。

翌日、私は友人の結婚式に参加するため長野に行くと言ったら、「テツの大事な友達のお祝いなら私も行きたい」というので急遽同行する。私のCD「ストーン・アウト」のジャケットを描いてくれた小山利枝子さんの娘・未央さんの結婚式。披露宴で乾杯直後にデュオ。宴半ば、竹沢悦子さんの曲でも飛び入りで参加、皆が祝祭の気分で大いに沸いた。planBでの追悼と白馬での祝福。死と生。音楽や踊りはこのためにあるのだろう。会場には、昨年のジャンとのツアーチラシをデザインしてくれた斎藤視倭子さん、また、長野市でギャラリーや文化活動を展開している石川利江さんもいらっしゃって、これからもますます多方面に繋がっていくような気がした。「一緒にその場にいる」ということは今の時代ますます貴重なことかもしれない。

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