セロリ

「育ってきた環境が違うから、すれ違いは否めない」(山崎まさよし「セロリ」より)

違いを楽しむことは人生後半の楽しみの一つだ。「何とか独自の世界を創ろう、理想を実現しよう」と突っ走った人生前半は、違うものをなるべく切り捨てていた。しかし後半戦になると「自分の世界ができてなんぼのもんじゃい」「結局、自分の小さな世界を露呈するだけじゃない?」と思い知ることが続く。その打開策として、違いを楽しむ機会を見つけ、チャレンジしようと思った。自分を超えること、知らない自分を発見することは、最大の喜びかもしれない。人生後半もずっと切り続け自分の世界に集中していった先輩達の姿も反面教師になった。もちろん人それぞれだけれど。

結局は自分の演奏しかできないのはわかっている。周囲からはとかくいろいろと言われるし、実際とても疲れたりするのだが、先に繋がるかすかな兆しが見えることもたまにある。

最近では、アラスカでの現代音楽、黒沼ユリ子さんとのシューベルト、アケタとのセッション、西村朗さんの曲の打楽器パートをコントラバスに置き換えて17絃と演奏する「かむなぎ」、そして昨日で一応終わった酒井俊さんとのデュオなどがその例。

「歌」が私の大きな課題になっていくだろうな、という予測はあった。ふだん聴いている音楽の大半はブラジルの歌。「歌える歌を作ることがこれからの大きな目標」といろいろなところで言ってしまっている。そんな時に俊さんからオファーが来た。彼女は二年近く私のライブ、特に即興のライブに通ってきてくれていたということ。そういう真摯なオファーには真摯に答えなくてはならない、と言うわけでともかく一年間月一回「なってるハウス」でやってみようと言うことになった。私の歌作りの取っかかりになるかもしれないという期待もあった。

初回は林栄一さんも入って、満員のお客様。あ~こういう世界があるのだな、とジャズ界のおのぼりさんになる。しかし私は提案してしまう。続けるなら完全なデュオでやりましょう。俊さんの他の仕事との差異をはっきりさせましょう。演劇仕立てにしてオリジナルを増やしましょう。お客様は減り続けました。しかし毎回のように名古屋から車を飛ばしてきてくださる二人、ライブ会場ではこの人の姿があればしめたもの、というNさんもほとんど毎回、昨日は旭川・東川からわざわざ来てくださった。東京の人が少ないという不思議な客席が続く。

初めのうちは私もマイクを使っていたが、夏前から止めた。俊さんも最後の三回はマイク無し。どちらかが言い出したわけでもなく自然にそうなった。実は、私は俊さんに提案したかったが自然に任せた。これは見えない一つの大きな成果だったかもしれない。マイクを使うことに利点はあるが、欠点もたくさんある。まずマイクは身体や声、楽器から出ている音のある部分しか増幅しない。切り捨てられるものが多い。なにしろジーッとかブーッとかいうアンプのランニング音がずっと鳴っているわけだ。パソコンをオフにした時の何とも言えない安堵感を考えれば、小さな持続音の弊害は想像以上に大きいのではないだろうか。

聞こえないようにしたい音だってある。顔の表情、ちょっとした振る舞いが音以上に語ることもある。人間の行為(かけひき)をありのままを示すには、マイクは邪魔になる。逆に言うとエンターテイメント性がどんどん無くなってくる。歌と伴奏という図式が完全に崩れる。私がソロをしているときも俊さんの息遣い・佇まいが同等にフィーチャーされることになる。そういうデュオであることを俊さんも直感で察知したのだろう。嬉しい一致だった。

そういう傾向が進むと聴衆も安心して聴けなくなる。集中を強要してしまう。仕事帰りに俊さんのヴォーカルを聴いて、お酒のんで、リラックスしたいということが成り立たなくなってしまう。お客さんも減るわけです。「いやいや、そういう集中こそが本当のリラックスになるんだ」という人が残ったのでしょうか。

私の曲に四苦八苦する俊さん。うまくいったなと思うとそれは俊さんの長年の持ち歌。「ヨイトマケの歌」「叱られて」「初恋」「すかんぽ」「かんぴょう」「四丁目の犬」「黒の舟歌」などを渡された時の私のとまどい。とまどい・悩みこそはチャンス、と日頃若い人に言っているので逃げるわけにはいきません。ずいぶんと試され、鍛えられました。

毎回同じ歌で同じように盛り上がることは演劇性なのか、歌の持つ演劇性・大衆性ということなのか、演奏も同じ事が言えるのか、お互いの一番良い面が出せたか、欠けているものの補完が幸せに行われたか、今はわからない。いろいろな人の意見、もちろん俊さんやリマさんの意見を聞いたり、録音を聴いたりするのが次の作業になる。

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