二つのゲッコー

「イマージュ」用の連載原稿を書きました。「どこから見る?」と言う題にして視点についてあれこれ経験を基に書いたのですが、またその事を考える機会がありました。

南アフリカ・ケープタウン出身のダンサー(ジャッキー・ジョブさん)からオファーがあり打ち合わせをしました。明晰な彼女は日本での生活を楽しみながらもいろいろと苦労もあるとのこと。まず、アフリカから来ていると言うことで多くの日本の観客は「アフリカダンス」を期待してくる、アフリカの儀式をイメージしたダンスでは皆、とても喜んでくれる、抽象的なダンスをすると「?」がつく。このブログによく登場するザイ・クーニンからも同じ話を聞いたことがあります。彼がマレー・シャーマンの家系だということで、「空中浮遊とか呪術を期待されてこまったよ」。

「不思議大好き」な消費大国は、珍しいものを観たい・聴きたい、しかも苦労せずに、しかも安くすめば文句ない・・・・・思い起こせば私にも似た経験がありました。一昨年、カリフォルニアを尺八(アメリカ人)、箏(日本人)と短い旅をしたとき、サクラメントの大学でのコンサートではなんと「ZEN MEDITATION」のサブタイトルがついていました。

唖然としたり、びっくりしたりするけれど、一歩二歩三歩下がって考えると一理あるんじゃない?と言う話に。外国に出ると、自国のこと・自分のことを客観的に見る機会が増えます。そういう風に見られている私って何?ここは確実に違うなと思うこと、これって日本独特なのか?とか・・・・

バール・フィリップスにも「灰野敬二、吉沢元治と一恵・テツも同じものがある」と言われたときも結構ビックリしました。灰野、吉沢両氏のことをあまり知りませんが、知っている限りで言うと自分とは全く違うと思っていました。しかし全員と共演したことのある人、それも即興をやった人が言うのだから何かあるはずだ、と考え一恵さんとも話しました。「ハラキリの感覚」じゃない?なんて話がでたことを思い出します。

ジャッキーさんはさらに歴史的・社会的な話におよびます。この企画の題材が簡略して言えば「良家の白人青年が家を出、放浪して、ジプシー娘に会い、恋をし、嫉妬をし、殺してしまう」ということ。「これは植民地主義」と彼女は言う。おそらく日本人はラブストーリーの一つと思うだろう。でも「桃太郎」だって同じです。

おみやげに「ヤモリ・GEKKO」のキーホルダーをいただきました。すぐさまマレーを思い出した私はそう言うと、ケープタウンには大きなマレーコミュニティが長年あり(奴隷制度)、彼女もその血を少し引いているとのこと。うむ・・なるほど・・・・・・

ザイが描いてくれた太鼓↓

ジャッキーにもらったキーホルダー↓

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