たき火の画廊

「垣根の垣根の曲がり角、たき火だたき火だ、落ち葉たき」
昨今はあまり見ないけど、そんな季節になりました。私の子供時代は、幡ヶ谷でもたき火をして焼き芋をしていました。東京オリンピック前は土手で粘土を掘ったり、ドブにはイトミミズがいて、カエルやザリガニつりをしたりしていました。オリンピックに間に合わせて作った高速道路を使った「惑星ソラリス」。今やあんなにすいていることはありませんが、その年から5年も過ぎています。

この歌「たき火」の生まれた所の正面に土日画廊があります。以前お伝えした旭川モケラモケラ板谷諭史さん(イタヤン)の個展開催中です。土日といってもこの頃は木・金・土・日に開いてるそうです。

イタヤンが旭川から出てきている日に合わせて訪ねました。本当に普通の家でした。集まっていたのは、釧路時代の美術の教え子さん達、北海道出身の俳優・フェルト作家、絵本作家、舞踏家、舞踏写真家、デザイナーなど。友人宅を訪問したように、車座になっての宴会が始まります。それは旭川での宴会ととても似ています。東京でもこういう事があり得るのですね。とても嬉しい気分です。

知り合い同士の信頼関係を元にしてなりたつ小さな輪。自宅を改造した画廊。こういうところから草の根の新しい関係ができているという当たり前の発見。東京での個展というと銀座じゃなくてはならないとかは全く無し、一つしかないヒエラルキーの少しでも上にいたいというような欲のかけらも見えない。しかも「仲良しごっこ」には決して成らないぞという気概を持っている。画廊主・作家・そこにいた人たち、とても健康な気がします。またイタヤンは養護学校でも教えているので、待つこと(=聴くこと)のできる人です。その影響もあってか、ゆったりした時間が流れていました。

私のやっている音も、聴衆の顔が一人一人見えるような小さいスペースでやる事の方が似合っているのでしょう。500人1000人の大向こうを唸らせるものではない。音響設備は使いたくない。それならば、そういう状態で経済を成り立たせる方法、どうにか生き延びることのできる方法がとても大事になってくると思いました。

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