道成寺

いやはや久しぶりに良いものを観ました。国立能楽堂で能「道成寺」。小鼓の久田舜一郎さんが出演。阪神淡路大震災のチャリティコンサートで出会ったのだからもう10年以上のおつきあいで何十回と共演し、海外公演も一緒にしているのに、彼の本業?の能を観るのは初めてでした。申し訳ない、そしてもったいないことをしました。

今・ここで何が起こっているのだ!とあたりを見回すほどの異空間。シテと小鼓のデュオの場面は30分ほど続いていただろうか、永遠のようでもあるし、一瞬のようでもありました。清姫が愛欲と恨みに狂う場面。

「道成寺の後はしばらくは声がでえへんのです。」とよくおっしゃっていましたが、なるほどさもありなん。すさまじい緊張感で声と鼓を打ちます。一瞬たりともシテから目を離さない真剣勝負のため、久田さんの後ろには助手がついて、椅子から落ちないよう椅子をおさえたり、久田さんがかまえているままの状態で、打つ方の反対側の鼓の皮をしめらせたりしています。普段は本人が皮に息を吹きかけてしめらすのですが、その一瞬さえ逃したくない、という気迫です。

声もほとんどノイズ即興ヴォイスか過激な現代音楽のようです。いやそうではない。これこそが能の声なのでしょう。こんな「前衛」が「伝統」の中に自然にある。イヤ、これこそが「伝統」なのだなと思います。しかしこんなにスゴイことが行われているのに、能のファンしか享受していないのだな(客席の和装率30%以上、平均年齢60歳以上か)と思うともったいない気がします。

こういうものを知っている人たちは、ヤワな若者文化や、外国かぶれ、消費文化を受け入れないでしょう。(本公演の前に道成寺の副住職が絵巻物を使っていろいろとおもしろおかしく説明をしていました。絵巻物ってこういう風に使うものなんですね。主催サイドもいろいろ工夫をしています。)

そんな久田さんが私達と演奏してくれるのは本当にありがたいことです。やはりトップにいる人は謙虚で好奇心が強いのでしょう。うれしいのは、ミッシェル・ドネダや私とやっていることが、「本業の能にとても役に立っている」と言ってくれることです。余暇の遊びでなくつきあってくれていることが本当にすばらしい。

久しぶりに良い気持ちで家に帰りました。

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