モケラ道北ツアーその5

今日は、午前中に当麻にある「語る部プラス」夜は東川の「叢や」(くさむらや)二カ所に訪れる。昨日札幌からきた瀬尾高志クンも交えて当麻へ。語る部プラスは身障者施設。モケラモケラとはずっと関係のある所だ。こういう施設にあるいろいろな事情をクリアして関係を継続している。

到着したときみんなは絵画の時間だった。本当におもいおもいの絵画を描いている。北海道の地理ばかり描いていた人がだんだん違う絵を描き出したとか、瀬尾クンの髭や髪に触発され彼を描き出す人、すべてが自画像になっていく人、機械的な自動車から虹のような光を発している絵を描く人、20秒くらいで一枚ドンドン描き続ける人さまざま。ドンドン描く人は「てっちさん」。彼の語録はすごい。「常識なんてつまらないですよ。」「山の向こうから描いてくれ描いてくれというものが飛んでくる。それを捕まえるだけ。」「家族やふるさとは大事にしなきゃね。」などと普通の会話で出てくる。時間内最後に描いたのは、本人は「お釈迦様」と言っていたが、パウル・クレーの天使によく似ていた。てっちさん↓

絵の道具を片付けをした後、みんなで食事。自然酵母のパンが評判でとてもおいしかった。その後ゆったりした後、コントラバスをだして私の担当時間。他の施設の人たちも駆けつけて参加してくれた。まずコントラバスを弾くが、反応がまちまち。音に反応してすぐ走り回ったり、踊り出す人もいれば、耳を押さえる人も。ともかく楽しい時間にしなくてはと思い、私自身が思いっきり楽しむことにする。

楽器を持って走り回ったり、身体を揺すりながら演奏したり。ともかくリズムの強力なものは受けがいい。それは大事な「教え」なのだろう。韓国の銅鑼(チン)を出すともう大変な盛り上がりになる。多くの人がやりたがり一人ずつ一緒に叩く。もの凄く細かいリズムを取る男性がいて、とても繊細な耳を持っている。最初は躊躇していたがだんだん参加してくる。ドンドン解放された雰囲気になり、ソーラン節や「涙そうそう」や得意な曲を歌いだす。しかし独りよがりの人は本当にいない。みんな自分の気持ち・感情が周囲の状況に合うかどうか繊細に感じているのだ。行くときは行く。押さえるときは押さえる。

時として制御できないくらいの大きな感情とのつきあいは頻繁にあり、健常者よりよほど馴れているのだろう。そして音楽の喜びに満ちている。音楽が役に立っている!精神障害を持っていて、症状が顕著になりそうになると薬で抑えるしかないという人を何人か知っている。そうでない時はひらめきに満ちた感覚を発揮しているのに薬を飲むとボーッとしてしまう。音楽や美術、演劇などで開いていくしかないのかもしれない。そう思うと音楽はとても大事な役割を持つ。細かい刺繍を楽しそうにする人、聞いた誕生日をすべて覚える人、みんなスゴイよ。

また来てね、また遊ぼうと言われて東川に移動。この土地に入植して100年。ずっと自然と闘って来た納屋を改造して人々が集まる事の出来るスペースを作った沢田さんご一家。その納屋がかなりくたびれてきたので、壊すかどうか考えたとき、思い思いの工夫をして残そうということになったそうだ。ご家族と祖先の宝物なのだ。一つ一つのモノに思いがこもっている。ビッキさんの作品が飾ってあるし山頭火の句の書がある。それにちゃんと反応できなければイケナイ。イヤ、当たり前の感覚が残っていればわかるのかもしれない。本当に大事にしている空間におじゃますることになったのだ。有料でイヴェントをするのは私が初めてだという。

ここを繋げてくれた旭川の絵本やさん「こども富貴堂」の福田さんは乾千恵さんと長年のつきあいだということだ。ここでも繋がった。当然、千恵ちゃんの書を飾る。とてもピッタリ。やはりこの書にはチカラがあるし、それに対応できる空間でもあるのだろう。演奏が始まる。聴衆の反応が半端でなくスゴイ。音楽に没頭できる感じだ。私が通り道になって祝祭空間を創れたのか。終演後も盛り上がった聴衆がなかなか場を後に出来ず残る。お酒を飲み、わいわい始まる。ラインダンスが始まる。最後にはご主人が「岩手弁で憲法9条」を読む。馬鹿騒ぎではないなんだかオトナの宴会だった。この納屋のゲストルームで高ぶった気持ちを抑えて就寝。ありがとう。

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