モケラ道北ツアーその4

朝、外に出しておいたカニを忘れずに出発。冷蔵庫よりも戸外の方が冷える。
快調に進み、時間の余裕があったので剣淵・絵本の館を訪ねる。町おこしを絵本にしている。ここにもライブを打診していたそうだ。とても立派な建築だ。こういう施設のある地元の子供達は幸せだな。絵本の数も大変な量だ。いろいろなジャンルに別れていて例えば「音楽」「おばあさん」などなど面白いコーナー分けがある。内外の興味深い本が本当にたくさんあった。丸一日は軽々とゆったり過ごせるだろう。

外側が卵のカタチの部屋がありそこは大大大傑作!鶏卵を少し小さくしたカタチの木の卵を10万個いれたプールがある。ずぶずぶと身体ごと入ってしまう。音がスゴイ。出てくる音もスゴイ上に巨大な卵型の部屋自体が独特の反響をする。オトナ四人ではまってしまい、30分くらい大騒ぎをしてしまった。忘れてしまった感覚あるいは初めてだが懐かしい感覚がビンビンと生まれる。これは得難い経験だった。オススメ!です。

駅前旅館(無人駅)で安くてとてもおいしいランチ(カレーとラーメン)をいただき、モケラモケラへ帰る。今日は、トーク&ワークショップの日だ。我ながらかなりのプレッシャー。もともと話すのが苦手な上に、何を求められているのかがなかなかハッキリとはつかめないのだ。私自身が文字の世界から音楽の世界に「逃げた」ことも関係しているのだろうか。何か表現している人、音楽家、役者たち、美術家対象のワークショップなら何となくつかめるのだが、一般(イッパンってなんだ?)の人対象だと困ってしまう。そう、そもそも「一般」の人などいないのだ。みんな例外。私の考え方の基本を正直に淡々と話すしかない。この5年間、大学の一般?学生相手に話していることを参考にする。

話しながら想えば、私はかなり幸運にいろいろな人に出会っているのだな~。世界中のエッセンスに会えてしまう幸運を想わざるを得ない。子供の頃から音楽の道しかなかったという人とは全く違って、オトナになってから「生き方」として音楽を選んだのだから、それは逆に伝わりやすいのではないか?と自分に言い聞かせる。(とはいっても依然としてなかなか馴れませんぜ。)

春日大社の若宮での声の出し方「けいしつ」。エスキモーの喉歌、自分の中に呼びかけること、呼吸を通して自分の身体と心の「所有」から解かれること、表現と匿名、聴くことと待つこと、などを及ばずながらやった。なにせ参加者の求める気持ちが強いのでとても助けられたし、こちらが学ぶことが多かった。なぜか、日本の話になり、アマリア・ロドリゲスの「祈り」(私はポルトガルで死にたい)とか、高銀の詩とかで、「日本で死にたいか」の話になってキビシイ質問も受けた。

後で知ったがこの日、白川静さんが亡くなった。スゴイ学者でした。いつも受け売りをさせていただいていました。またまた大きな人がいなくなってしまった。

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