かいやぐら

白鳥11章

未知から白鳥は来る

日月や星が波くぐる真珠海市(かいやぐら)

何処へ、我れてふ自明の眩暈・・・・・・

「海市」だけでも「かいやぐら」と読ませていた一穂が、「真珠」をつけて「かいやぐら」とした。一穂にとっての真珠は、海中で「傷うけて成る真珠」というイメージ。

ゆらゆらと揺れる海上の蜃気楼。

オンバク・ヒタム公演の序「舟唄」に続いて、「かいやぐら」を演奏する予定だ。かつて「遠い祭り」と言っていた音響の曲だ。

誰ともわからず、何ともわからない。そんな「意味に奪われていない」状態を観たかった。テクニックは無用、いや邪魔だ。箏奏者にもコントラバスの弓を持って弾いてもらう。ちゃんと音が出ないことを敢えて望む。そんな中にフワリとダンサーが登場する。意味に囚われていない正体不明の「司祭」が儀式を行うために。

ボゴタでのダンサー相手のワークショップでも、テクニックが邪魔になる話をした後、この奏法で動いてもらった。途中でジャンに弓を2本渡し、弾いてもらう。やはり、ちゃんと弾けた。ジャンも夢中になって弾いている。

楽器を習いに来た人が、土壺にはまってしまって、どうにもならない時の対処法として、コントラバスの駒の近くをギーギー弾く(ポンティチェロというちゃんとした名前がある奏法だ。倍音ばかりがでる。)ことを最低5分間やらせる。

不思議に気持ちが落ち着くのだ。普段、汚い音、失敗した音、ひっくり返った音、出してはいけない音、コントロールできない音を弾くことで、規制だらけの世の中に嫌気がさしているココロを解放する感じか。

その解放感と、この「かいやぐら」奏法の効果は、似ているが同じではない。ポンティチェロが、ココロの傷を埋めるように補填するのに対して、「かいやぐら」はココロを外に出かけさせる、そんな印象がある。

このシーン、大変楽しみにしているものの一つだ。

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オンバク・ヒタム公演 予約状況 現在91。ペイラインの約半分・・・・

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