hard days 4

博多で、訳ありの濃い日をもう一日過ごし帰京。
翌朝10時入りでシアタートラムへ。岸田理生さん三回忌リーディング。渡辺えり子さんと二人だけで舞台を務める。何かのミスで一ヶ月スケジュールが間違えて伝わっていたえり子さんは朝、富山から飛行機で駆けつける。浅岡ルリ子さんたちとの大商業演劇ツアーの真っ最中、たまたまその移動日に当たっていた。

全く傾向の違う脚本を一日だけやるためえり子さんはかなり緊張気味。女性演劇人として、如月小春さん、岸田理生さん、渡辺えり子さんは持ち回りでいろいろな活動をしていた。そのお二人が相次いでお亡くなりになり、えり子さんが今回の三回忌リーディングをする。

私にしても、追悼演奏が多くなってきた。そういう年回りなのか。理生さんとは何本か一緒に演劇を作った。偶然なのか必然なのか、海外での活動も重なることが多かった。「電車に一人で乗れない」という評判だった理生さんがソウルの中央日報ホール楽屋に一人で現れた。私が金石出、安淑善、李光壽たちとコンサート「ユーラシアン・エコーズ」をやったときだ。私は韓国伝統音楽にどっぷりはまっていた。理生さんもこの時期あたりから韓国の演劇と関わりを持ち、キム・アラさん、イ・ユンテクさんらと共同製作が始まることになる。それから数年、私がシンガポールを中心に東南アジアでの活動を始めた後に、理生さんはシンガポールのオン・ケンセンらと大きなプロジェクトに入る。何か、音楽が露払いをした感じだった。

理生さんの最期の病院が故郷の諏訪湖。車でツアーの時、お見舞いに立ち寄った。このところ毎回ブログに登場するザイ・クーニンを連れて行った。理生さんもザイと仲良しでいつか主演作品を作るつもりだったようだ。ツアー中に寄ったことを知った理生さんは「楽器を持ってきて弾いてよ」という。こういう状況ではお答えするしかない。そっと?楽器を運び、即席の演奏会。「空・ハヌル・ランギット」からテーマ曲でこのごろ演奏することの多い「街」、劇中で使った「カンウヲンド・アリラン」「安里屋ユンタ」「ダヨン・サンパン」などを演奏、ザイも歌う。この時がお会いする最後になってしまった。

今日の演目は「メディアマシーン」。ハイナー・ミュラーが何かと演劇界の話題になっていた頃の作品だ。ハイナー・ミュラー・プロジェクトなるものがあり、演出家が競い合って上演したり、シンポジウムがあったり、日本でも運動になりかけていた。ミューラーの代表作「ハムレット・マシーン」にヒントを得、書き上げたが「メディアマシーン」だった。「ハムレット・マシーン」は、膨大な原稿から意味のある部分を全部切り落としたという問題作。その影響を受けながら、女性史と天皇制が終生のテーマだと言っていた理生さんらしい脚本だ。初演の時の小田豊さんとは全く違ったアプローチでえり子さんは攻めてくる。

二人とも集中力で1時間強の舞台を乗り切った。最後の部分では娘の真妃にハーモニウムとチン(韓国の銅鑼)、ビー玉、を手伝ってもらった。娘は、ビー玉一つならすのにも大変な情報量の元でやっていることを実感したようだ。

公演後、ロビーでの献杯。天井桟敷の高田恵篤・蘭妖子、岸田事務所の諏訪部、雛、竹広さんその他いろいな懐かしい顔でいっぱい。みんなが生き延びていて同じ仕事を続けているのを確かめあうという感じも少しある。ともかくトーキョーで続けられていることの大変さは共有している。ヘンリックさんが音楽をほめてくれたり、勿論、理生さんの昔話などにも盛り上がった。理生さんもどこかに来てたかな?来ていたはず。たまたま生きているものが先へ繋げなければ怒られそう。

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