plan BでのOrbit(今井和雄・齋藤徹デュオ)4月19日。
いろいろ探っていたら、10年前、plan Bの機関誌かなにかに書いた文章がでてきました。忘れていることも多いな〜。この時から10年。
/// 齋藤徹・今井和雄デュオとplanB ///
初めて出会ったのが北里病院、高柳昌行さんの病室でした。高柳教室を卒業した唯一の(伝説の)生徒・今井和雄というのはどういう人?とかねがね思っていました。当時私は高柳氏とデュオを継続中、高柳オーケストラ企画が持ち上がっていた頃です。しかし、それからしばらく会うこともありませんでした。
ライブハウスでの演奏を頼まれて、共演者を捜していた時、偶然、新宿で会い、共演をお願いしました。初共演はめざましいもので、優れた「共演者」に出会う喜びで「張り合う」ように弾いた記憶があります(横濱エアジン)。その後、Michel Doneda, Le Quan Ninhの誘いで、カナダ・フランスツアーの話があった時、迷わず今井和雄と沢井一恵を推薦し、同行してもらいました。各地で、特にミュージシャンの間で、今井和雄のギターが評判になったのは、ど~うだい!と自慢げで、とても嬉しいことでした。ヨーロッパのインプロシーンには、私より、今井さんの方が、指向が合うのではないかと前々から感じていました。ヨーロッパでの彼の評価はますます上がっています。
誕生日が1ヶ月しか違わないことがわかり、シャレと照れで、合わせて100歳になるまでデュオをやってみようかと、planBで毎月デュオを始め2年半継続しました。「100歳の軌跡」Orbitシリーズというタイトル・完全アコースティック・完全即興・1時間・1ステージということだけ決めました。合わせて100歳を越えた時、止める理由も見あたらず、むしろ変化しつつあることを楽しみたいと「100歳の」という文字を削り続行決定しました。
「マージナル・コンソート」では音響に徹し、「今井トリオ」ではエレキ・ギターでジャズを弾く今井和雄のアコースティック・ギターを堪能する機会でもあり、自作品の演奏、他ジャンルとの場での演奏の多い私には完全即興をする日本での貴重で大事な場になりました。
ヨーロッパのオルタナティブな組織(特にフランスのアソシアシオン)の現場に雰囲気の似ているplanBは本当に貴重な場所でした。カフェやバーを兼ねているわけではなく、真っ直ぐに「なにがやりたいのか?」「死ぬきでこの場に立っているのか?」だけを問うてくる厳しい場所です。このデュオには最適な場所でした。
一口に即興演奏と言ってもいろいろな種類・段階があります。ジャズでよくやる和音や旋法に基づいての「アドリブ」もあるし、何も決めずに始め、演奏過程できっかけを見つけると「音楽」にしていくもの、フリージャズのような叫び、ノイズに限ったもの、音響を楽しむもの、などなど。
このデュオでは、変な言い方ですが、「音楽」にしていくのを出来るだけ避けます。もちろん「音楽」が嫌いなのではありません。安易に「音楽」にしてしまわずに、「まだまだ」と、立ち止まります。「音楽・音」って何なのだろう、「人間」って何なのだろう、という根本の問いを深めたいのです。本当に音楽を好きなのですが、ただ普通より欲深いだけかも知れません。(「音楽」や「歌」になる直前を体感したいということが、私個人としてはあります。音楽を破壊していくというベクトルとは逆です。)
即興演奏にとって共演者を選ぶことは、最も重大なプロセスであり自分への試練です。「共演者の違いを楽しむ」傾向には乗りません。planBでは何回か、ゲストを招いたこともありました。(Michel Doneda, Frederic Blondy, 沢井一恵、岩下徹、小林裕児)即興演奏ではありませんが、Olivier Manouryのバンドネオンを加えたトリオでピアソラを演奏したこともありました。2009年初めにはJacques Demierreの企画(ロラン・バルト「表徴の帝国」を題材にしたプロジェクト)では連日リハーサルで使用し、こういう場所が東京にあることが、彼らに自慢でした。
CD「Orbit 1」は(Michel Donedaとのトリオ)planBでライブ録音し、私の個人レーベルTravessiaの記念すべき第1弾になりました。ミッシェルの初孫が生まれた日で、ストラスブール現代美術館の首席キュレーターが数少ない客席にいたことを思い出します。
代わる代わるの人目を惹くコンセプトで集客するわけでもなく、中年オヤジが2人、1時間、楽器と格闘するという演奏は、変わりばえもなさそうですが、2年半続けていると、驚くほど変化していました。2人にとって、毎日毎日がリハーサルであり、問われ続ける日常であり、聴衆にとっても「今・ここ・私」という問いを共有することになることが実感できます。破局的な現代日本で、重要な作業だと信じます。
planBの方針変更により、しばらく休止していましたが、2009年夏から再開しました。何の問題もなく、あまりにも順調に2年半やってきたので、突然の方針変更にリアリティを感じることができず、何が起こっているのかが正直分かりませんでした。
以前のように毎月というわけにはいきませんが、それはあたかも「音」がここで続けることを要求しているようでした。その命令に喜んで従いたいと思いました。今回2009年をしめくくる音は何を私たちに言うのか、耳を、身体を充分に開いて聴いてみたいと思っています。
(齋藤徹)