絃上・歌行灯・鞍馬天狗

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久田舜一郎さんを迎えるための予習

絃上・歌行灯・鞍馬天狗

絃上(玄象)という演目は日本人の微妙な音感を表していてたいへん興味深いものです。塩屋というから、わたしも演奏したことがある旧グッゲンハイム邸のあるあたりでしょう。(やはり文化は関西に元がありますね。)

太政大臣 藤原師長は、国内で琵琶を究め、これ以上は中国へ行かねばならないとして旅の途中塩屋に泊まった折、そこの老夫婦(実は天皇の霊)が琵琶を弾いて欲しいと所望。弾き出すと、ちょっと待って、と言って、屋根に苫を敷いてくる。何故かというと琵琶の調子が西洋で言うAなのに屋根に落ちる雨音がBなので合わないので苫を敷いてAにあわせたと。なんとセンシティブな感覚!

その後、老夫婦も琵琶・箏を取り出し、「撥音爪音 ばらり からり からりばらりと感涙もこぼれ、嬰児も躍るばかりなりや 弾いたり弾いたりおもしろや」いや〜楽しそう。

そうか、何も中国に行く必要はないのだ、と悟ったとさ。

歌行灯 うたあんどん 泉鏡花作。

桑名あたりで能の天狗連のボス(盲目の按摩)に興味を持った東京の若き能楽師がボスの謡を聴き、それに合わせ拍子を取る、ここぞ、という瞬間に拍子を入れ続け、時に謡を上回る、「節の隙間を切って、伸縮のびちぢみを緊しめつ、緩めつ、声の重味を刎上はねあげて、咽喉のどの呼吸を突崩す。」見る内に、額にたらたらと衝つと汗を流し、死声しにごえを振絞と、頤あごから胸へ膏あぶらを絞った……あのその大きな唇が海鼠なまこを干したように乾いて来て、舌が硬こわって呼吸いきが発奮はずむ。わなわなと震える手で、畳を掴つかむように、うたいながら猪口ちょこを拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬ前さき、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹したっぱらへ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。はっと火のような呼吸いきを吐く、トタンに真俯向まうつむけに突伏つッぷす時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を嘗なめた。」あまりの屈辱、能の奥の深さ、自らの驕り、に苛まれその翌日に自死。

ここぞという拍子で人を死に追いやることができる。音楽で人が殺せるということです。そんなきびしい音楽のありようは身震いします。

久田舜一郎さんもあまりの気の張り詰め、気合いで心臓を病み何回も手術しているそうです。パリで倒れたときはマルセル・マルソーが助けてくれたとのこと。

どうして、そこまでするのか?

鞍馬天狗

ミッシェル・ドネダと久田舜一郎と私の1回目のヨーロッパツアーは、予算上ほとんど車移動でした。6時間7時間移動して演奏などというミュージシャン生活を久田舜一郎さんは苦にもせず付き合って下さいました。

移動が長いので、飽きてしまうと「徹さん、謡を教えましょう」と。「あっ、ハイ、お願いします。」といって牛若丸のさわりを教えて下さいました。もとよりお腹から声が出ていないわたしは最初からつっかえて何回もやり直し、何回目かにお腹からでました。「鞍馬より牛若丸が・・_」
なんと気持ちの良いこと!身体中が喜んでいる感じです。全く出来なかった鉄棒の逆上がりができた時の身体の歓喜を思い起こしました。「いったいこれはなんだ?」

すると、目に映るヨーロッパの森林が日本の木々に見えてくるではありませんか・・・・
ちょっとした超常現象でした。

関係ないですが、そんな車移動中、アルザスロレーヌ地方のレストランで人種差別を受け、入店拒否されました。ミッシェルが激怒しましたが、私たち日本人は入店できませんでした。

嗚呼、民族とは?
そのあたりまで聞き出したいですね。45分では無理かな〜?ガンバリマス。

4月11日 沼部「いずるば」にて。予約はわたしも受け付けます。詳細は↓チラシをご覧ください。