久田舜一郎さんをお迎えしてのワークショップ

やっと沢井一恵さんとのWSの余韻から徐々に覚めることができそうです。すると、すぐに久田舜一郎さんとのWSがあります。なんと深く、重くかつ軽快に物事が進む一週間でしょう。ほんとうに恵まれた日々です。大事にしなくてはなりませぬ。こんなことは「ありえない」機会です。

お目にかかったのは、神戸ジーベックホールで、阪神淡路大震災のチャリティコンサートでした。バール・フィリップスさんがヨーロッパで募金を集めて来日したこともあり、わたしもソロのツアーの途中でなんとか参加出来ました。

その時、後列にバール、吉沢元治さん、わたし、その他もう一人のベーシスト(アメリカ人?)がいて、前列に久田舜一郎さんと龍笛の方がいらっしゃった。何の打ち合わせも無くともかく演奏が始まるのです。(吉沢さんは、電気系の配線にとまどってほとんど音をだせずにおわってしまいました。)

ともかく凄まじいお二人の音。それに会話するように音をだす西洋ミュージシャン。わたしは、久田舜一郎さんの掛け声には、会話で答えてはイケナイと直感しました。この掛け声は空間を創り、時間を止めるものなので、その大きな曲線が天空を駆け抜け小鼓の一打まで音を出してはイケナイと直感しました。これは即興演奏にありがちな音の会話ではない。空間を創る演出家としての能楽師を体感しました。当時のわたしは能のことはな〜〜んにもしりませんでした。

これは、人生で何回とないたいへんな経験だ、とわたしの身体が察知しました。こうなったときのわたしは普段と全く違う大胆な行動に出ます。すぐに久田さんのところへ行き、お話をしようにも、興奮していて、ろくなコトバがでてこない。翌日ほとんど倒壊しているビルで演奏があることを聞きつけ、なんとしてもそこに行く!ということだけ決めました。

ともかく、「なぜ」こんなに身体が反応するのか?「なぜ」舞台で彼らの音を待つ選択をしたのか、それは「日本」なのか「血」なのか、民族や血で簡単に解決したくはない。しかし、そう言わざるを得ないかも知れない途方も無いものを「見てしまった」と思いました。

翌日、指定のビルに行きました。確かに倒壊危険のシールが貼ってありました。そこでの演奏がまたスゴかった。もの狂いとはこのことか。西欧のどんな音楽でも、激しい即興演奏でも感じることができなかった種の感覚、それは底が見えないほど深く、消え入るほど孤独で、しかも何か温かな大地に包まれるような感覚。しかも大震災の後、お一人で演奏され、食い入るように鑑賞している人達(被災者たち)。ええい困った。何が何だか分からない。

普段と違う大胆極まりない徹2号は強引にデュオを申し込み、念願の演奏。(昨日は、西洋のベーシスト達の会話的な音の羅列に違和感を感じ、ほとんど音が出せずに終わりました。)この日は饒舌にもなり、爪が割れ、血が飛び散りました。こんなの初めてです。

アレは何だったのか?もう、寝ても覚めてもこのことを考え、直ぐに東京での小劇場公演に出演してもらいました。(これも物事を知らない大胆さのおかげです。能の世界はたいへん厳しい戒律があり、他流試合などはもってのほか。しかし、久田舜一郎さんくらいの地位になると何でも許されるそうです。)

当時の小劇場は、日本のサブカルチャーの大きな波が引いたあとにあたります。寺山さんはすでに逝去、鈴木忠志さんはより大きな規模へ移行すべく動いていて、太田省吾さんは地道に信じることを仲間と続けていました。隆盛を極めた舞踏も小劇場もフリージャズも熱は冷めていることは否めず、かつての盛り上がった公演話、それぞれのカリスマの逸話で盛り上がっていました。

当然、幾多の劇団に所属していた多くの俳優たちはカリスマを失っても生きて行かねばならないし、演劇を辞めることなども考えられない。いろいろなプロデュース企画などに参加していました。そんな公演の1つでハイナー・ミュラーに影響された演劇がありわたしが音楽担当。ピアノの黒田京子さんと久田舜一郎をお呼びする形で演劇に参加しました。

役者達はそれなりの訓練と経験を積んだ俳優たちでした。1人1人かなりのレベルに達しています。当時の役者さんたちの訓練・修行は丁寧で時間をかけ、発声、バレー、ダンスなどにも熱心に取り組むことが当たり前だったのです。

ところが、久田さんが一声出した途端に、言わば演劇が崩壊してしまいました。

なにがこんなにスゴいのか、楽屋でいろいろお聞きしました。「能は奥が深いのでしょう?哲学的なのですか?」など愚にもつかぬバカ丸出しのことを聞くと「いや、型をやっているだけです」と、独特の関西のイントネーションで答えてくれます。いやはや、なんとスゴイ答え。

その謎(あるいは非・謎)を解明したいな〜と思い、ヨーロッパヘ2回来ていただいたり、さまざまな企画を持ち込みました。なんでも受けてくださったことはほんとうに有り得ない機会でした。おかげで私の人生がどんなに豊かになったか。

確固たる信念と豊かな伝統には、サラリーマンの息子が西洋楽器を20年くらいやっているだけでは対抗しようがありませんでした。40年になっても全く変わりません。

そんなことわかりきっていますが、彼は喜んで共演してくださいました。それどころかわたしやミッシェルドネダとの演奏が、能の本番の舞台にたいへん参考になるとおっしゃる。

ともかくあらゆる事象を対照的に照らし出す鏡であることは確かです。それを皆さんと共有したくこのWSを企画しました。是非とも共有しましょう!4月11日(木) 沼部「いずるば」です!詳しくはチラシをご覧ください。わたしも予約受け付けております。