このところ同志・共闘のような梅本さん(エアジン)に頼まれると断る理由は一切無い。たとえなぜ頼んできたのかその時わからなくても、ちゃんと理由は存在し、それはだいたい正しい。なんせ、何十年毎日のようにライブを見聞きしてきた人だ。自分の仕事+闘病で情報不足の私に比べて、世の中の動きを確実にキャッチしている。同病とは思えないよね。
例えば昨日、バッハの誕生日イブにドイツで現代音楽を勉強してきたシズさんを中心としたライブが組まれ、ちゃんと練習をしてきていたであろうに、本番五日前に急に私に打診。何?
ともかく低気圧・低温度・雨という三重苦のなか、ロキソプロフェン・トラマールをたよりに出かけました。
思えば今の日本の音楽界、とくにジャズよりのシーンはいわば「サードストリーム日本編」の時期なのかもしれません。
サードストリーム・ムーブメントはアメリカで、ジャズでもクラシックでもない「第3の流れ」として台頭。ガンサー・シュラー、ジョン・ルイスなどがブレイン。譜面に強いジャズミュージシャン(エリック・ドルフィー、ジム・ホール、ビル・エヴァンス、ドン・エリス、スコットラファロなどなど)が活躍し、オーケストラUSAが組織され(国歌も演奏!)、ジャズというアメリカの数少ない伝統に、西洋クラシックの知識・知恵を導入し、新しい価値をつろうとする試みと乱暴に言えば言える。ジミー・ジェフリー、トリスターノ達はどう思っていたのだろう?
シュラーさん(息子がエド・シュラー、ベーシスト)はミンガスの死後見つかった大作「エピタフ」を譜面を整理、指揮しているCD、DVDで知った人も多い。コントラバスカルテットも書く作曲家・ホルン奏者。ジョン・ルイスは、MJQの活動の他に、オーネット・コールマンの才能を見いだして「作曲家として」推薦した大きな功績があり、オーケストラものも手がけていました。クルトワイルを取り上げたり、バーンスタインが参加したり。(バール・フィリップスさんも体験談を話してくれました。)
ともかく、ジャズが勢いもチカラも人材もあったし、クラシックもまだまだ元気、世の中がまだ若かった。
今の日本の「サードストリーム」をみると、世の中でジャズ自体のチカラもなく、クラシック同様、歴史的な役割を終えている(のかも知れない)中、多くの音大卒のミュージシャンがクラシックにも飽き足らず、世の中の要望もなく、就職口もないが、元々音楽好きなので何かやりたい!そんな時に、ピアソラは格好の素材になり、コンサートのアンコールに頻繁に登場。音大など関係なくあふれる情熱と情報で楽器を高いレベルでマスターしている人達もどんどん登場してきています。
惜しむらくは、何を演奏するかというもっとも大事なことより、ポピュリズムに陥ったりの例もあります。
音楽がネット配信へ移行、音楽は無料という、かつてこつこつ・かつかつとレコードを買った私達には信じられない状態で、いつまでもスターに経済を頼っていることも難しくなってきました。
一方、ネット時代、世界中の膨大な音楽情報が瞬時に無料で手に入るし、交通の発展でホンモノが直ぐに来てしまう。真似をしていれば良かった時代では無くなってきました。
伝統芸能・伝統音楽の世界も揺さぶられ、若いスターが作られたり、他ジャンルとのさまざまなコラボレーションも進んでいます。中にはありゃりゃというものもあります。
さて、昨夜のメンバー:シズ(ピアノ、作曲、現代音楽、作詞、ジャンルはシズ)、西田けんたろう(バイオリン、クラシック、ジャズ、タンゴなんでも)、中瀬加寿子(フルート、アルトフルート クラシック 帰途のお迎えに来たご子息は著名なエレキベース奏者)寺前浩之(バンドリン、ブラジル音楽、ジャズなんでも)という多ジャンルでの凄腕ミュージシャン。何の苦労も無くかるくバッハをやってしまうわけでした。サードストリームどころではない。曼荼羅ストリーム。
この潜在的なチカラと音楽力を発火・爆発させれば、思いもよらないスゲーことが日本でも起こるかも知れません〜。
そのためには全体と将来と可能性を見渡すことのできる器の大きな人材が必須でしょう。
いま・ここに現れよ!
いろいろな音楽を知っているだけではダメ。そりゃあ、古今東西にはすばらしい音楽が山とあります。データ化された情報には簡単にアクセスできる時代です。それをできるだけ多く手に入れ、こんな良い音楽がありますよ、すごいでしょ?こんなのもありますよ!では、これとこれをあわせてやってみましょう、良いでしょう?
それでは「足りない。」
渇望するもの、犠牲を払っても手にしたいもの、無くては生きていけない、狂おしいほどの願い。そんな願いが結集すれば、音楽の神が日本の上に訪れるかもしれない!と夢想します。かつてアメリカに、ブラジル上空に滞在していた音楽の神は世界を物色・移動中のようです。
この酷い時代、日本は逆にチャンスなのかも知れません。
さてエアジン、雨音が聞こえる中、第一部で1時間15分バッハが演奏されました。
私にはなにが期待されているのか、イマイチ判然としないなか、第二部の始めにバッハの無伴奏チェロ2番をホ短調にして演奏。約半分はピッチカートを使って生ガットの音を楽しんだり、雑音・倍音・弱音を強調しながら楽しみました。案の定2ヶ所飛びましたがもうそんなことでは焦りません。エアジンバッハでこの三年鍛えられました。手の痺れでピッチは悪いし、トリルもできないし、、、、そんなこと関係ない、関係ないとおまじないを唱えます。
そして、凄腕皆さんと合奏。
カニのカノン(バッハ)、アポトーシス(シズ作曲)アンコール:アヴェ・マリア(グノー、バッハ)
一拍の長さを充分とること、想定外の刺激を与える、ことが私の役割かと判断。かといって余裕で提供するのではなく、ギリギリ精一杯でやる!それでなきゃ通じない。
アポトーシスは自ら死を選ぶ細胞レベルのプログラム。むかしレミングって流行りましたね。
私の体内のアヤツにも教えたいものだよ、とシズと会話。そうだそうだ。おまえが元気一杯で成長すれば宿主の私が死に、おまえも生きては行けないのだよ。私の何倍も頭の良いおまえが分からぬはずはない!よく聞いてくださいよ。ったく。
“Fools,” said I ,”You do not know
Silence, like a cancer, grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you
But my words, like silent raindrops fell
And echoed in the wells, of silence
from Sound fo Silence by Simon & Garfunkel