ぼくのからだはこういうこと、試写その2

「ぼくのからだはこういうこと」試写会その2

この5年の映像は、もちろん矢萩竜太郎さんを追ったものですが、私の5年の記録でもあります。

いまより30㎏太っていて、フレンチ弓をジャーマングリップして(いまはフレンチグリップ)、速さ命!のような演奏(今は、超速では弾けません)、セカンドラインの抗がん剤が強すぎてほとんど髪の毛が抜けている、やつれてインタビューに答えるのが必死だったり。

糖尿病闘病そして完治、ドイツでの心臓病入院、癌告知、手術失敗、セカンドオピニオン、抗がん剤半年、手術大成功、ドイツへ2回「私の城」公演に参加、副作用に翻弄される、1年後再発告知、長崎(大村・諫早)での夢のような1ヶ月療養、CT結果悪し、第一回「いずるば」フェス、までが記録されているのです。自然にドラマティックでした。さあ、これからどうなるのでしょう?面白くなってきました。

映画の中での、ライブ映像ではメインに使われているのが信濃大町での原始感覚美術祭クロージングイベントでした。そこには、久田舜一郎さん、ザイ・クーニン、矢萩竜太郎、皆藤千香子と私のパフォーマンスです。

私は、アブラキサンが強すぎて、毎日髪の毛が何百本か抜けるという最中で、果たして演奏できるのか不明のまま大町入りしました。もう面倒くさいや、と電気バリカンを購入して(近藤監督の推薦機種!)次の日にはみんなの前で剃髪姿を披露しようと思っていたときです。その日を境に脱毛が止まったので、電気バリカンは箱に入ったままです。

奇跡のように演奏できたのは実は2回目。1回目は有明癌研最短記録で退院して2日目にスペースフーでまさかの「影の時」演奏(withミッシェル・ニン・和雄・一恵)。この時も一応楽器を持っていったという状況でした。

ともかく、持っていった段階で、「演奏する」ことは決まっていたのかも知れません。

大町の翌日は松代現代美術祭でザイ・クーニンとデュオもキッチリ演奏しました。

ただ今、不調により長期間抗がん剤をやっていませんので、髪の毛はかなり戻りました。良いんだか、悪いんだか・・・・

映像記録はいろいろなものを見せてくれます。見ようとするものが見える。多くの情報の中からそれぞれの人が見ようとするものを選び取っているだけなのかも知れません。

やれるかやれないか、分からない状態で楽器を現場に持っていき、演奏する。普段通りの当たり前の行程が、目の前にあり、ただ何も考えずにそれに従うのみ。いわばサウンド・マシーンになっていたのでしょう。

そうやって生きてきたので、そうやって生きていくのでしょう。生かしてくれるかぎり、こうやって行くことでしょう!誰しも死ぬまで生きる、のですから。わたしはこうやって行きたいです。