What would Charles Mingus do?
と表紙に書いてあるノートを手に入れた。
ミンガスならどうするだろう?という意味かと。
日和るんじゃ無いよ!貫けよ!音楽を!平等を!と受け取ります。
気弱になった時、迷ったときの指標にミンガスが選ばれているのでしょう。彼は時に怒りにまかせたりした伝説のみが残っていますが、とても知的で優しい人でした。バール・フィリップスさんがニューヨークに住んでいたとき、お子さん同士が同じ学校だったので、何回か会ったそうですが、たいへん紳士的でおとなしい人だったそうです。そんな彼を怒らせたものを考えざるを得ません。残した名曲の数々、ベースの素晴らしさ、卓越したバンドリーダーとしての活動をみれば直ぐ分かりますね。
私にも何人かそういう指標になる人がいます。ありがとうございます。いつも想定しています。そのたびに全世界でクシャミを誘発しているのではないかと思います。
ミンガスにしても57歳で亡くなっています。ジョニ・ミッチェルのアルバムでミンガス誕生日のようすの録音が挟まれていますがその時は53歳ですでにかなりの病状(ALS)だったようです。わたしはそれを十年も余計に生きているのです。いたって健康です。
このごろ興味深く読んでいるのがベテルの家関連の本です。これは指標になります。「勝手に治すな、この病気」とか「どうか治りませんように」とか統合失調症の施設としてはビックリするような標語を産み出して、当事者研究として革命的な成果を上げています。
とかくこの世は貫くことはムズカシイし面倒です。金銭的な誘惑は抗いがたい。べてるの家では、そこをさえ逆転させ「みんなで金儲けをしよう」ということから大きく変わったと言います。年商1億とか。
苦労させてくれ、というのもビックリしました。事件や事故が起こらないように、といろいろと禁止して大事に大事に過ごさせるのではなく、発作や爆発を起こしてもその経験を有効に積み重ねることをより大事にということです。
私が今、この状態で演奏、企画を立ち上げるのも実施が危ないかも知れない綱渡りです。しかし、大事に大事にして何もしなければますますほんものの「病人」になってしまい、何もしないでネットばかり見ているでしょう。このところ痛みの発作が日に何度もありますが、これとて、身体が治している過程と信じ波が去るのを薬と共に待ちます。
野口晴哉さんには印象的な言葉が多く:
晴れあり、曇りあり。
病気になろうとなるまいと、人間は本来健康である。
健康をいつまでも、病気と対立させておく必要はない。
私は健康も疫病も、生命現象の一つとして悠々眺めて行きたいと思う。
健康とは、安全無事な肉塊をいうのではない。
常に裡から、活き活きした力を産み出してやまない、
そのはたらきこそ健康というのだ。
身に染みます。
さてまわりを見渡すと、もう一人指標がいます。
我が弟、矢萩竜太郎さんです。
今ここで何が必要なのか、優先順位はどうなのかを瞬時に見分けます。それが彼の即興ダンスの極意です。見分けた上で、自己表現のためにやるのではなく、みんなでやろう!ここもスゴイのです。示唆に満ち満ちているのです。
この新DVDは、ダウン症「なのに」ダンスをしている人がいる、よくやっている、すごいね、泣けてきちゃう、感動します、から、「僕たちには竜太郎さんが必要なんだ!」という転換を促すものです。
この視点の移動が必要なのです。それはべてるの家ともミンガスとも野口晴哉とも共通します。そして、実は隠れて見えなくなっている「あたりまえ」の「ふつう」の「すこやかな」ことなのでしょう。
そんな映像のお披露目です。そして、竜太郎さんと私でミニライブをやります。お越しの皆さまも巻き込んで喜びの輪・ダンスの輪が拡がることを願っています。桜坂も開花かな〜。