ままならぬ
思えばままならぬことが常、思い通りが希有。
ままならぬ摩擦や矛盾の中から気力やエネルギーを生み出して行く。
この2週間、ままならぬ体調です。深夜、あと5分この痛さが続いたら救急車だな、と覚悟したり、そろそろ来るときが来たのかと勘ぐったり、NYへ半年行く友人の来訪も、大阪からの友人の来訪も前々から楽しみにしていたのにドタキャン。一番驚いているのは私。
ままならなくなったら「さあて、おもしろくなってきたぞよ〜」「愛してるよ〜」と思う、ように、したい、ように、す、る、と、は、いえ・・・おもしろすぎる〜。
低温・低気圧・雨・渋滞、痛み、不眠、浮腫み、痺れ、これでもかと言うばかりにたたみ掛けてくるなか、ミッション2つはなんとかクリアしました。神田試聴室での新井陽子さんとの初デュオ、「いずるば」でのオープンリハーサルin 2019 第1回目。薬のおかげさま。
音に、音楽に、ピアノに魅入られ、抜き差しならなくなった人生を一つ一つ辿るように、そしてそんなことを「知るかよ!」と全部捨てるように、過剰で理不尽な音を出したり、一音を愛おしむために一音をださないように、演奏した新井さん。サラヴァ(幸あれ)!
「みんな」と一緒に「いま・ここ」に賭けて踊る、ただそれだけ、と宣言した矢萩竜太郎さん、サラヴァ!
音で、ダンスで、表しているけれど、直に伝わってくるのは音でもダンスでもなくその人、その空間。
音を聴きに行くのではなく、ダンスを観に行くのではなく、その人に会いに行くだけ。
私の所在を確かめに来たのは、私自身と共演者と聴衆と空間。
一期一会と言う言葉が身に染みてきて、そんなこと関係あるかよ、バーカ、と演奏する。
音は嘘をつけない?そんなことない、音は嘘をつけます。簡単です。
しかしそれは嘘つきの身体を蝕んでしまう。
音と身体の関係は、生命史とともにあります。その意味で個人の身体などひとたまりも無く粉砕されます。所有できるものではない。言葉ももちろん嘘をつきます。しかし、個人に所有されるほど弱いものではない。
音にしないように、言葉にしないように、踊りにしないように、ねばりづよく。
写真:前澤秀登