いずるばフェス 大振り返り

あ〜、こんなことまでも話すことが出来るようになったのだな〜、とたいへん感慨深い「いずるばフェス振り返り大会」でした。ほ〜んのり微かに色を感じる「桜坂」を下りたところの「いずるば」。

想定を遙かに越えた要素がギッチリ詰まった内容だった第1回いずるばフェス。私もその未消化を反芻しながらの2ヶ月でした。わたしと「いずるば」竜太郎さんとの10年間のまとめでもありました。

「実際に起こったこと」はやりたかったことと「違ってしまったな」と思ったとしても、想定外に何が起こったかを目を凝らして見守ることが重要。そこにこそ次に繋がる芽があるはずだ、有るに決まってる。

楽しかったね、で終わることを避けるために、みんなで話し合おう、という「青臭い」「シット真面目な」集まりに、多くの参加者がいらっしゃいました。有り難い有り難い。

もちろんリハーサル不足によってもたらされた部分の修正はこの先、できるでしょう。いや、しましょう、いや、します。

私が強権発動して私の思うようにできたとしてもそれは「つまらない」。面倒なものを排除して楽に事を進めたら失敗。あ〜やばいな、と思った状況を放置して何が起こるかに託す。それは、信頼や愛情に基づく尊いもので、ここ「いずるば」でこそ育まれたもの。

立ち向かってみようと思った重要なテーマは「ことば」。そんな予習で、今回は作文を書いてきてもらうということにしました。小学校以来、作文を書いたことないと言う人が複数。やっぱり、小中高校の国語の先生って、良い人少なかったな〜。良い先生に出会っていたら大分違っていたでしょう。

書いた人の文章は書いた人をそのまま表し、書けなかった人の言ったことはそのまま書いたとしても同じで、ちゃんとしていて、その人そのものでした。ここ「いずるば」では、失敗も大失敗も宿題をやってこなくても許される場なのです。(何回までにしようか?という話しもあります~けど)

意味を伝える「ことば」、意味に疎外されない「ことば」、詩の「ことば」、作文の「ことば」いろいろな次元のことばがあります。そのあたりは私が庄﨑さん・泰子さんと詩人達とやっていることと重なってきますので、その豊かなパスを回します。

コロスの乱雑な言葉、詩人が言葉を買うぞのシーン、など新たな気持ちで言葉と向き合ってみたいな〜。

ほとんどの方が、きちんと文章を書いて読み上げてくださいました。近藤真左典(映画監督)は、思い出話として「映画学校で今村昌平さんに習っていた時に、ともかく書け!と言われ続けた」と語ってくれました。書いて書いて書いて書いて、という訓練だったそうです。近藤さんの文章はしっかり意味も伝え、詩的でもあり、創造的でもある文章で、ご本人が関西弁の抑揚で読むとなおさら伝わってきました。高柳昌行さんの私的教室でも作文の宿題が出ていたと聞きます。

大人数の中で自分はどう「立っているか」「存在するか」その中でどう即興的に表現するか?ということも大きな課題としてありました。ここもブラッシュアップできるはずです。

ヒントは「人に自分の演技・演奏をしてもらう」ことで満足する方法、自分でやらなくても満足できる回路、その間は「やらない」という演技・演奏をしてその場に居る、その輪郭を示す。何かに対する「反応」はしない、なぜなら反応は「遅い」し、「なぞり」にすぎないから「うるさく」、「自己表現」の押付けになる。自分で演技・演奏しないことで「自己実現」してしまう技を身につける。そんなところで「承認欲求」を満足させることは、物事をつまらなくさせるのだ〜。

実際に出している音・踊っている身体だけではなく、出ていない音、出なかった音、踊れなかった振り、動かなかった動きが大切なのです。

ともかく12月に第2回いずるばフェスをやるぞ〜〜ッポン!、ということになり、3月からオープンリハーサルを重ねていくことになりました。ご興味のある方はワークショップのFB告知をご覧ください。

昨年は、ゼロからの始まりでしたが、今年は第1回フェスの財産があります。多くの愛する仲間がいます。共通意識が拡がっています。全く違います。「楽しかった〜」から先へ!行くことができます。ここからがほんとうの楽しみです。新しいメンバーも新たな風を吹かせてくださるでしょう。

竜太郎さんとの関係も熟して来ています。リハーサル、本番を通じて、みんなも彼の素晴らしいところを、バイアスなしで、そのまま認識できるようになりました。We Need Ryotaroh!

そこで「当事者研究」のように、竜太郎さんに、今まで聞けなかったことを、聞くことを始めたい。秘密はありません。謎もありません。

そこで初めて同じ地平に立てるのかもしれません。治る病気と治らない病気、治るとは何なのか?その中で生きるとは?私の癌も同じ事。何ができて何を諦めていて何が望みで何を必要としているか?そのなかでのダンスとは何か?音楽とは?即興とは?いま改めて話そう。

そう言うと、なんと竜太郎さんが「僕はダウン症という病気です。この病気は治りません。でもこうやって踊っています。」という感動的な言葉をさらっと言ってくれました。彼を30年知っている人も初めて聞く言葉で思わず涙腺決壊だったそうです。

一瞬一瞬に奇跡が起こっています。見逃すことなかれ、聴き逃すことなかれ!

全体が祝福されているような良い感じになってきました!!

やおろずの神よ!私に、時間を与え賜え!