そして日本

そして「日本」

WS特別編として沢井一恵さん・久田舜一郎さんをお招きします。私の音楽人生どっちつかずでフラフラしてきました。どこにも所属することなく、日本だ、伝統だ、韓国だ、即興だ、アジアだ、ヨーロッパだ、南米だ、タンゴだ、と。学生時代に雑誌「伝統と現代」に惹かれたのが原点的な指向だったのか、なぜだかしりませんが「伝統」をずっと気にしていました。政治や宗教や学問にはまり込まなかったのはそのおかげかも知れません。

そんなバックボーンですから、なにをやっても、どうやっても最後にでてくるのが日本です。骨の髄に染みこんだ日本とは何?日本語?山川草木?日本人?天皇?四季?自然?共同体?祭り?歌?

やっかいです。

しかし、私は、本当に幸運なことに沢井一恵さんや久田舜一郎さんと出会う事ができました。沢井さんは、栗林秀明さんの紹介で、久田舜一郎さんは神戸での阪神淡路大震災チャリティコンサートで運命的に出会いました。

おふたりを見ていると、異端と異端の点と点が細く結ばれていって「伝統」が出来るのだと感じることができます。伝統と伝統は決して繋がらない。そこにいるのはフォロワー・保守だけ。

いかにも「ニッポン」なものは決して日本ではなく、反日本的なものこそが本当の「日本」を繋ぐことになるのかもしれません。(その例で言えば、自分と思っている自分は自分ではなく、反自分が繋がったものが自分なのです。)即興の対義語は、作品ではなく、自分自身だ、という考えに沿う考えにもなります。

そもそも「日本」という概念が成り立ったのはいつ?古事記・日本書紀が8世紀初めですが、外国から見て、中国・当時の唐からみて「日本」という名前で呼ぶようになったのが700年前後らしいです。ですから弥生時代の日本とか縄文時代の日本とかは修飾矛盾です。ありえない。日本とは1500年くらいの概念でしかないのです。

「日本的」に見える箏・小鼓の沢井さん久田さんは、反日本を強く持つがゆえに本当の「日本」なのかもしれません。異端が本流になるまさにその瞬間を私たちは共有しているのかもしれません。その、日本、反日本とは何?

有名人と共演することなど少しの関心も無い(何にもならない)このおふたり、言い方を変えると、どんな著名人とでもどんなプレステージの高い舞台でも自由に使えるこのおふたりが、ミッシェル・ドネダや私と、交通費にもならないようなLIVEにさえスケジュール次第で受けてくださることが不思議。

私の演奏が能の本番の舞台に参考になるので勉強していますという久田舜一郎さん。どんなに自信が無いとおっしゃっても、興味が上回るLIVEには捨て身で参加し、舞台をかっさらっていく沢井一恵さん。本当に得がたい同時代者で、同じ時代に生きていて幸運と思います。

仏教伝来が6世紀。それまでは何?神道?アニミズム?アイヌ・沖縄と本州の違い?オンバクヒタムの流れによる日本海が地中海的な文化の役割をはたしていた?

わびさびが日本的と言ったら「ねぶた」は日本的なのか?阿波踊りは日本的なのか?日本舞踊は日本的?舞踏BUTOHは日本的?各地に残る奇祭は?

箏曲の伝統には検校が欠かせません。盲の人達の伝統とは?能にも様々な宗教や政治が絡んできています。それ以上に音楽・芸能は黒々とした民族の岩盤の上にあり、禍々しいものも避けては通れません。

一つ一つを検証していることはとても私にはできません。それらの裏にあり、しかも、箏曲や能を成り立たせているものは何か?それは正統な流れの繋がりではありえないとは言えそうです。

人間は「生産労働」だけでは生きていけない。効果を上げるだけでは生きていけない。そこには祭りが必要であり、狂気が必要であり、異常が必要。その割合は如何?統合失調症や癲癇と憑依・シャマニズムとはどのように「同じ」でどのように「違う」のか?

そういう質問を喚起させるお二方です。おふたりとのそれぞれ30年前後のお付き合いの中からどれだけ多くのものを学んだことか・・・とても一回ずつのセッションでは終わる気がしません。

対談一時間、セッション一時間を予定したいと思います。
どこまで話が行くかな~、私次第だな〜、重い役だな〜、問われるな〜。

齋藤徹のワークショップ@いずるば(沼部)
❶ ゲスト編vol.6 沢井一恵さん 4月4日(木)
❷ ゲスト編vol.7 久田舜一郎さん 4月11日(木)
齋藤徹さんとのセッション+対談
時間: 19時から
料金: 予約3,000円 当日3,500円 2日通し券5,000円