横濱

横濱 YOKOHAMA

この二週間、日曜日に横濱通いをしました。1つはエアジンでの『「いずるば」の仲間達』そして「並木恵一周忌追悼 2×4ミロンガ」。このごろ抗がん剤の副作用がキビシク、ずいぶんと仏頂面を晒しながらも(きっとみなさまの心配と気遣いを強要したことでしょう、スミマセン)なんとかその場にいたかった、いいや、いなければならなかったので参加しました。

エアジンの梅本實さんがケルンから帰ってきてエアジンを引き継ぐことになったのが40年位前のことでしたか。シュトックハウゼンだのヘンツェだのケージだの御本人達と日常的に交流していたケルンの音楽シーンからニッポンのダンモのズージャのライブハウスへというのは、その差、距離はさぞや大きく目の眩むようだったでしょう。

まだ存続していた初台「騒」にも「調査」に来て、面白そうなミュージシャンをピックアップしていました。その中に板倉克行さん、森順治さん、天野主税さんらとともに私も入れてもらっていたのが横濱とのご縁のはじまりでした。当時の私の音楽レベル(の低さ)を思うと、誠にありがたいことです。結婚式ではトランペットで結婚行進曲を吹いてもらったり。鈴木いずみさんと「騒」で呑んで(呑まされて?)急性アル中で緊急入院、退院したその足で、エアジンに向かったりの時期でした。

しかし、モダンジャズの殿堂エアジンの常連達に新しい音が馴染むのはほとんど無理。考えて見ればジャズファンはかなり保守的です。曜日を限定してハッキリ「モダンジャズじゃないよ」、ということを書いたり、梅本さんはかなり多大な努力をしてご自身の音楽指向を馴染ませようとしていました。もうこの頃はそういう音しかやっていないようですね。

梅さんのクラシック指向として、スモールアンサンブルを組織しての演奏活動もしていて、ストラビンスキー「兵士の物語」サン・サーンス「動物の謝肉祭」などビックリするような著名腕っこきのお仲間達に混ぜてもらい、楽譜をがんばって勉強しました。小節ごとに拍子の変わる「兵士の物語」などは、指揮者を見ているとかえって間違える?ので無理矢理暗譜したり。

そういう梅本さんの活動の1つの集大成が横濱ジャズプロムナードでした。ヨーロッパからインプロバイザーを毎年大勢呼んでいて、ヨーロッパインプロ界でも有名になっていました。当時アジアナンバーワンの内容と集客を誇る様になっていました。

クラシック指向も、神奈川フィルハーモニー管弦楽団にプロムナードに来てもらって、毎年1人のジャズミュージシャンをフィーチャーして自作曲をフルオケでやるというシリーズもあり、板橋文夫・林栄一と続いた後に、私も呼ばれ、ストーンアウト、タンゴエクリプス、invitationを徳永伸一さんのアレンジでやり、ソリストとして沢井一恵、小松亮太さんを呼んでやりましたね。ストーンアウトwith沢井一恵は翌年もやりましたっけ。

私のエアジンでの40年間、ジャズでは高柳昌行さんとのデュオやベースアンサンブル弦311の他に、特筆すべきは、邦楽(栗林秀明・沢井一恵・ブルーポールズなど)、タンゴ(横濱シエテ・デ・オロ、トリオロスファンダンゴス)、ダンス(武元加寿子、旗野由記子、工藤丈輝、ジャン・サスポータスなど)、美術(大成瓢吉、小林裕児)、ハンディキャップ(庄﨑隆志、矢萩竜太郎など)キラ星のようなこの人達をジャズのライブハウスで共演するということをおそらく日本で初めてやってきました。

いまや、邦楽、タンゴ、ダンス、美術がライブハウスで演奏するのは当たり前のようですが、そうではなかったのです。邦楽は色物のような扱いが普通でした。私と梅本さんが実践した小さな革命であり大いなる誇りです。

実は、あれもこれもそれもどれも横濱ならではのことかもしれません。(東京ではありえないのではないでしょうか)

たとえば、元町プールでLIVEをやろう、ということになり、一級建築士達がプールの上に水平なステージを設計施工し、山下洋輔、金大煥に私と栗林さんブルーポールズで演奏、ケンタウロスさん達が見守るという夢のようなこともありました。大人が本気で遊ぶ街・横濱。

その確かな延長上のこの2日間があったのです。

矢萩竜太郎(ダウン症ダンサー)を中心とした「いずるば」の仲間達セッションでは、「弱さの力」を充分に感じ、この先の繋がりを予見しながらのインプロトリオ6組。そこには舞踏やコンテンポラリーダンス、ヴォイス、バリ舞踊、インプロサックスが平等に伸びやかに行いました。世界の何処に行っても通じる内容でした。

並木恵さん(ALSで一年前に逝去)は、バントネオン奏者としてエアジンで演奏(シエテ・デ・オロ)、私がトリオロスファンダンゴスをエアジンに紹介した時の演奏に聴衆として来場、その時にTLFを大いに気に入り、九州まで行ったりし、メンバーとも家族同士の付き合いになりました。7年前、同会場でミロンガがあり、2〜3曲は踊ることができました。直後に車椅子、そしてベッド生活。ご自宅でホームパーティがあり谷本仰(バイオリン、牧師)さんと私で恵さんのリクエストの曲の演奏もしましたね。

横濱のシエテ・デ・オロには、翠川敬基、高柳昌行、廣木光一、高場将美、田辺義博、飯田雅春、私などが参加したビックリするようなアマチュアタンゴオルケスタでした。(高場将美・田辺義博両氏も昨年逝去しました。合掌。)

先日の追悼ミロンガでは、きらびやかな服装を競い合うことは全くなく、普段着+αの衣装でタンゴを踊るのがとても好ましく思いました。(これも横濱!)ジャン・サスポータスさんの住むブッパタールのカフェ・アダでも毎週タンゴナイトがありますが、そこでも普段着のタンゴが一晩中行われていてそれを思い出します。様子は↓に詳しいです。(ケンジさんのBlog)
http://liliken.club/…

そして、昼のエアジン(レンタル)を誰かに託して、ちゃ〜んと梅本さんも奥様とご一緒にミロンガに参加。芳恵さんは試しにタンゴダンスもしていました。

横濱の素晴らしさと可能性を思う2週間でした。本当にお世話になっていますね。ありがとう!

もう少し横濱でも仕事をしたい!と思います。まだ行かないよ。