「いずるば」の仲間達@エアジン終了

エアジンLIVE終了。

いずるばの仲間達、というタイトルは、チャレンジ・冒険です。

「なに、仲良しごっこやっているの?」という方もいらっしゃるでしょう。敵意をもっている聴衆さえいらっしゃるかもしれないのです。それが公でLIVEをやると言うことです。やる側の事情(ダウン症・ガン、フェスティバル経験者)は、LIVEにはまったく関係ないのです。良いか、悪いか?だけです。「こういう事情だから許して」くれません。「わかっても」くれません。下手なライブをやれば、もうエアジンではLIVEできなくなり、エアジンも評判を落とします。

私の賭けはむしろ「そこ」でした。

「なかよしごっこ」に見える可能性は充分あるでしょう。それをせめぎあいにして予定調和を超えたエネルギーを溜められるか。難易度は高めです。

おのおのエアジンに到着し、テンションの上がった竜太郎さんとの会話は弾み、楽しいです。しかし、LIVEに控えて各々が各々のやり方で、ストレッチや指ならし、シミュレーション、呼吸を整える、集中力を高めることをしなくてはなりません。楽しい会話の中、いくら日頃の準備が整っていても必要な儀式をせねばなりません。怪我をしたり、身体を壊したりします。

竜太郎さんと楽しく話していると、LIVEでも彼の「存在」に「頼ってしまう」ことが起こりがちです。竜太郎さんは勝手に先に行っています。置いて行かれ、何もしていない惨めな自分を晒さなければならなくなる。そのキケンを察知して、あらかじめ乗り越え、各自、自己流に集中し、同時にリラックスする。笑顔をしながら脚はストレッチをしているなどさまざまな駆け引きが開演前に繰り広げられています。私はずっと指ならしをしていて、時折「竜ちゃん、ストレッチは?」「深呼吸は?」と問いかけるだけにしました。

聴衆の中には、「いずるば」フェスに演者として参加していた方が何人もいらっしゃいました。「なぜ私は呼ばれなかったの?」という疑問をもって来たのかも知れません。逆に今回のメンバーは「なぜ私が呼ばれたの?」という緊張とストレス、厳しい視線の中でやらなければならないのです。

いろいろな事情が交錯します。和気あいあいの竜太郎LIVEは、それゆえに、より難しいのです。

忙しい日常を何とかやりくりしてエアジンに辿りついた聴衆の方々、竜太郎さんの父親は息子のLIVEを何より楽しみにしていますが、思わぬ膝の痛みで断念。その知らせに一瞬たじろぐ竜太郎さん。遠く広島からダウン症のお子さんをもつ親御さん、3月の京都公演を段取りしてくれている安藤さん(ダウン症のお子さんがいらっしゃいます。ランドフェスも続行中。)

竜太郎さんがライブをするということが広く社会性を持ち始めているのです。徒や疎かにできませぬ。

来週、近くのライブハウスで亡夫(ALSで逝去したバンドネオン奏者)の一周忌ミロンガを主催する方(私も演奏します)、マスターの梅本さんは昨年ガンを乗り越えました。最近もステージ4のミュージシャンの相談を受けたとのこと。近々結婚を決めたギタリスト、ハラルド・キミック(バイオリン)さんの元でドイツで即興を研鑽してきたトロンボニスト、人生いろいろ(竜太郎さんが歌い出しそうですね)の中で、この時間・この空間に(奇跡的に)集まり、踊り、歌い、演奏し、聴き、分かち合いました。素晴らしい時間でした。

「コルシア書店の仲間達」(須賀敦子著)のように演者も聴衆もスタッフも1人1人が最低一冊の本を書くことのできる人生を今ここに生きていることを強く感じます。それぞれのやり方でこの時間と空間にゴリゴリと1ページを刻みつけたと思います。

終演後、あるトピックでの話合いになった時、全員が我が事として真剣・真摯なやりとりができました。素晴らしき仲間達。

LIVEは、竜太郎さんと私が演奏・ダンスをする中に
第一部:荒井皆子→小川隼人→佐草夏美
第二部:渡辺麻衣→木村由→諏訪洋子
が参加したトリオ6つ。