雑感

人には「残された仕事」などない、記憶が確かならば、グレン・グールドが亡くなった時の高橋悠治さんのコメントです。ずっと印象に残っていました。

私が「当事者」になってみるとリアリティを感じるのです。(グールドさんは、ゴールドベルク変奏曲でデビューして、最後にまたゴールドベルク変奏曲を録音していたので、人生を1周したような穿った考えもありました。)

昨年12月 第1回いずるばフェスティバル・庄﨑隆志さん松本泰子さんとの第Q藝術LIVE(詩人も参加)・ポレポレ坐での徹と徹の部屋vol.3 が続き、まるでこれで私の音楽人生の総決算と感じ、1ヶ月間長崎で最高の自然・食物・治療をして、2ヶ月間抗がん剤を休薬し、この3つのパフォーマンスに集中しました。担当医には「ともかく12月のLIVEを悔いなくやりたい」と訴え、「わかりました。本来担当医としては、休薬することを薦めるわけにはいかないのですが、お仕事がんばって下さい」と最高の理解を示してくれ、わたしも、この3つがおわれば、どんな強い薬でも受けます、なんて言っていました。

長崎から帰郷翌日のCTスキャンでは、予想に反して患部増大、マーカー上昇、という思わぬ結果になりましたが、「ともかくやりぬくのこころだ〜」と仕事に臨みました。

私がどういう事情だろうが、関係なく「普通に」世の中は動いていて、普通にLIVEの日が来て、普通に車で移動し、楽器を搬入し、リハーサルをし、本番をして、搬出して、車で帰りました。そんなあたりまえのようにこの3つのパフォーマンスも終わりました。

充実感に満たされ、幸福感に酔いしれ、ということもあまりなく、普通に日々は過ぎていき、新年を迎えました。庄﨑隆志さんとの北斎が終われば責任ある仕事が終わる、と自分に言い聞かせ体調をだましだまし、そしてそれも終えました。

とても穏やかと言われる抗がん剤1種類だけを2週置きに打っていますが、ハッキリ言って「つらい」ことが多い。やめたい、やめたいという気持ちが毎日。

「縁起でも無い」ということは止めにして、いままで共演を計画していても実現出来なかったLIVEを「早めに」やろう、と何件か連絡して、計画をたてたり、「いずるば」での年間計画を立てたり、映像インタビューに応じたりしています。

手術後のICU2日間は、この世とあの世の境はカーテン1枚というのを実感しました。(モルヒネなどの影響もあったのでしょうが)。

なんだかんだと日は過ぎていき、いろいろなことが起こるということだけが、世の習わし。そのなかで勝手に一喜一憂する。それでいいぢゃないか。

さて、これから有明詣でです。

写真:前澤秀登@第Q藝術