正月

正月らしくない3回目の正月。副作用で外出ができないでボーッとしていると、ワークショップ〜オープンリハーサル〜「いずるば」フェスのスタッフが訪ねてくれました。このスタッフ達との共同作業はまるで「旅」のようでした。道に迷っては一歩踏みだして、あるいは、踏みだしかねて、お互いの顔を見やって、そうすると誰かが行先に踏みだしてくれる。まるでタルコフスキーの「ストーカー」での3人がボルトに布を巻き、それを投げた先に一歩一歩行くよう。その先に何があるか、何を求めているかの確証もなく。

依頼したスティル写真が大量に届き、写っている人に分けて渡そうかとして眺めていて、あまりの関係者の多さに、作業が始められませんでした。これだけ多くの人の真剣な眼差しや身体を見ているだけでこちらもエネルギーが必要になります。しかし、みんなホントに良い顔しているな〜。

尋常でないことをやったのだ、という感慨とともに、これを振り返り、先に繋がるものを見つけことの大切さも尋常でないのだ、と思いました。特に竜太郎さんの障がいや私の癌は「終わらない」のですから、さっぱりきっぱり終わって次へ向かう、というより、ここから何を見つけるのか、私たちはなにをやったのか、やっているときに気づかなかったことも判明することも多いのです。

みんなとの歓談のなかで気づいたのは、ほとんどの人が東日本大震災・原発爆発が替わり目になっている、ということでした。そういう人達が集まったのだ、とも言えるのかもしれません。

そう言えば、震災直後に「いずるば」で公演がありました。まだまだ余震が続き、計画停電が行われていました。余震が起きると皆、出口の方向を見て、どの位の震度かで次の行動を決めていました。

集まった聴衆の心情も「普通」ではなく、「普通」のエンターテイメントを求めていませんでした。この状況で求めるものはエンタメではありえず、この名づけようのない気持ちに正面から答えてくれるものを見たいのだ、という悲痛とも言える欲求でした。家にじっとして情報を集めるだけは気が収まらず、本数の少なくなっている電車を乗り継いで、少ないガソリンを使って、それを求めて来ていました。(満席!)音楽と踊りが本当に求められていた、のでしょう。

それに答えることこそ私たちの使命。日頃こだわっている松脂がどうのこうの、弦がどうのこうの、ということは全く問題外になっています。ここに演奏できる楽器があることが幸せ。(楽器がなかったらどうするのだ?という問いもありました。)そこで竜太郎さんは強力な軸となってみなを引っ張って行きました。(矢萩竜太郎・岩下徹・喜多直毅・私のカルテット)休憩中に聴衆の中のお子さんが踊り出しました。

そして1ヶ月も経つと、状況は変わり、「普通」の生活に戻るべく、心も体もベクトルの先を合わせていたような気がします。普通のエンタメを求めることに戻ってしまった。

あれはなんだったのだ?

「普通」の生活、働いたり、勉強したり、それがうまくできるかどうかの競争。震災直後は、それが何の価値も無くなる感覚になる。自ずと求める音楽・ダンスも「普通」と違う。「効果的」な音楽もダンスも要らない、どんなにすばやくても、たくさんの引き出しから、たくさんの彩りをみせてもダメ。安定の中での適度の驚きを披露してもダメ。

長く重い「ケ」のなかで醸し出された「ハレ」。つらい日常の時間を止める。人の表現や自然そのものに感動するときは「時が止まり」、その瞬間が永遠となる。メシアンの「時の終わりのカルテット」は「世の終わりのカルテット」では決して無い理由。

憂さを「忘れさせてくれる」エンターテイメントは楽しく心躍るものでしょう。しかしその前後、私たちは変わらない。時の流れを止め違う次元を見せてくれる、体験させてくれるものは、その体験の前と後では、私たち自身が変わっている。もはやかつての私ではない。

ワークショップからオープンリハーサルそしてフェスティバルへの過程では何回もそんな瞬間があった。それらは、現実の時の流れの中に埋没させては惜しい、惜しすぎる。そのためにこそ生きるのだ、「ふりかえるまなざし」(渡辺洋)をもちたい。