徹と徹の部屋vol.3 @ ポレポレ坐
今年になって始めたシリーズの第3回目です。ほとんど同い歳、ずいぶん遅くから今の仕事を始めていることなど共通なものもありますが、表現についてとか、ダンス・音楽・即興についてなど話し合ったことは一切無し。食事をご一緒したことも片手で数えるほど。
あのご自身に対する厳しい律し方は、どこから来ているのか?
もう何十年も志賀の病院でハンディキャップの人達へのダンス教室を続けていて、「いずるば」でももう20年。山海塾での活動の他に、京都造形芸術大学や桜美林大学などでの教鞭。ご自身のダンスを「舞踏」「コンテンポラリーダンス」ではなく「即興ダンス」だとハッキリと分類しています。私が病を得てからの心遣いには本当に励まされました。
それは単に「弱きもの」の立場を理解している、ということにとどまらないものを感じます。「できる」のにやらない人、「わたしなどは・・・」と「遠慮」のようで本当は「不遜」な振る舞いに対する憤りややるせない気持ち、「それは違うだろう?」と言う気持ちがあるのではないかなぁと思うようになりました。
やりたくてもやることができない人たち(死んでしまった人、生まれなかった人も含めて)の気持ちを感じることができればこそ、文句ばかり言ってやらない人、居心地の良いところで自虐を言う人に対しての思いをご自身の鍛錬に向けているのかもしれません。それは幼児期から専門家になるべく育てられた人にはなかなか分からない感覚かもしれません。
このシリーズを始めてからもどんどんと技法や技巧、バリエーションを削っているように見えます。速さや上手さを誇示することもなく、「やばい」瞬間を取り繕うこともなくそのまま、ありのままをさらけ出します。やばいこそチャンス。
第1回目には終演後にトークをやりましたが、言葉でまとめて(ごまかして)しまうことを避けるように、2回目からやらなくなりました。
それは何のため?
削ぎ落として削ぎ落として、追い込んで、身1つ投げ出すことは、自信の現れにも取れますが、彼の場合、そういうこともない。「イワシタトオル」だから許されることは徹底的に避けている。ダメだったらゴメンナサイと言って舞台を降りるでしょう。
そこまでして何がしたいの?
私は病を得て、技術を失いました。スピードも自由もなくなってしまった、下手な自分はもう引退しかないか、と思いました。しかし、音楽とはそういうものではないかもしれない、いままでの私こそが間違っていたのかも知れないと思うようになりました。技術は「自己満足」の領域にとどまるもの。一個人の「思い通り」ではツマラナイに決まっている。
昨日は、あるシーンで寝転がって固まってしまった彼を半眼でみている内に私は「今の私のふらついた足取りは、実はダンスではないのか?」と思って楽器を置いて「踊って」しまいました。そんなこともさせるトオルさんです。音楽は音が終わるために、ダンスはダンスが終わるために。
自分が「正しい」と思ってしまった瞬間から「間違い」は始まる。技術は自由になるための足かせにしかならない。効果的であることはじゃまでしかない。そうは思えないか?
疑え!疑え!信じるために。
信じることは、待つことであり、さらけ出すことでもあり、訴えることではなく、聴くこと。表現することではなく、自分を通ってでてくるものを最後の最後まで見守る勇気。
逆に言えば「欲深い」のかもしれません。。簡単なところでOKをださないのは、生まれ出ようとしている、育とうとしている、壊れやすい命をギリギリまで見守っていたい。
息を出し切ると新鮮な空気が自然に入ってきます。息がなくなることを怖れて空気を残しておくと、新しい空気は満たされず、どんどんと呼吸が浅くなり、人と比較するようになります。
全てを支えるもの、それは日常生活でしかありません。そのために日常を律し、即興に身を委ねることのできる自分を作る。
日常こそが、やりたくてもできない魂たちへの礼。正しくても間違っていても関係ありません。
世の中で唯一の真実は「死」、唯一信じられる(否定できない)のが己の身体。
ないものねだり、と呼びたければ呼べば良い。
それがイワシタトオル的生き方。
こんなに真っ裸な人をみたことがない。