横浜何でも音楽祭 その2

エアジンで合流するや、前回ユウコ・レジーの時と同じく着ているものの色の話題になりました。ギレーヌはきっと「赤」だろう想像していた私は、急に肌寒くなったこともありフランネルの赤を引張りだしました。ジャン・セバスチャンはすかさず「私は黒。そしてギターは赤」と宣言。「それじゃちょうどアナキストとコミュニストだね」なんて笑い合いました。フランスでは今でもアナキストの連綿とした繋がりが残っていること、大杉栄など連想してしまいました。

ギレーヌとジャン・セバスチャンの長めのDUO、ギレーヌと私のDUO、ジャン・セバスチャンと私のDUO、そして長めのトリオということだけを決めて始めました。

インプロにも国民性が表れます。いや、決めごとのないインプロだからこそ国民性が表れるのでしょう。こういう組み合わせを決めることも、ドイツでは何の問題もありませんが、フランスは、決めることは即インプロではなくなる、という考えが見られます。ミッシェル・ドネダなどはその象徴的存在で、ザビエ・シャルルなどには彼は「インプロ原理主義」と言われ(もちろん尊敬と愛情を持って)パパ・ドネダと言われたりしています。

ザビエさんともグループを作っているギレーヌの世代は少し柔らかくなっているのでしょう。こういう組み合わせも受け入れます。しかし「インプロというものは、時間がかかるものだ。何分くらいということはありえない」(ジャン・セバスチャン)ということも忘れません。良いね。

インプロミュージシャンは何か刺激を求めて旅を続けるのでしょうか?

彼ら2人、日本中を旅し、ゲストを招いてのLIVEツアーです。決して実入りの多いとは思えないギグばかりですが、何にも代えがたい刺激があるので、続けているのでしょう。

ある水準を超えた技量をもち、それを保ちつつ、あらたな開拓を続ける。そのためには多くのLIVEをすること、あらたな共演者から刺激を受けること、旅をしてさまざまな人に会い、自然に会うことを日常としているように思われます。

私との演奏でも私の「刺激」を受けて、嬉々として演奏を展開する様子が見え、私も役に立っている感を受け、とても嬉しい時間でした。

私は病と共存していることもあるし、歌の作曲も続けている最中だし、ハンディキャップとの交流も本気、などの内的刺激もあるためか、インプロしかやらないということはありません。インプロやるならインプロでしかできないことをやりたいだけです。

この日のエアジンはたまたまでしょうか、半身不随の方が2名(1人は釧路から!)見えました。私もエアジンへの階段をベースを持って上がるのが大変です。(3回は休憩します。)

半身不随となると苦労はそんなものではないでしょう。ウメモトさんが介助したりします。そのウメモトさんは70歳のキャンサーサバイバー。私は現役キャンサーホルダー。ALSでパートナーを失ったばかりの方、ドクターも集まりました。また、名古屋から日帰りで聴きに来てくださったカップルもいらっしゃいました。

みんないろいろな事情を抱え、メメントモリを抱え、その時その場での音を、ニンゲンと共感し・なにかを分かち合うために集まっているのだな〜と思うと感慨深いです。