横浜国際何でも音楽祭その1

 

エアジンへの往路は、高速横羽線から夕陽の富士山が見えます。ミッシェルもニンも興奮していました。本日は、フジヤマを見ながらユウコ・フジヤマさん、レジー・ニコルソンさんとのセッションです。この何十年ほとんどセッションはしませんが、日本で、アメリカで話がありながら実現しなかったものですので、今回はなんとか参加。

周囲に充分すぎるほどの気を遣うユウコさんですので、私の現状をお伝えすると一旦「今回も諦めます」ということでした。が、私は長野以来の身体と心をライブの開始時間に集中することで、キャンセルなくやりきっています。ユウコさんもレジーさんもとても喜んでくださいました。

「無理だったのよね」が過去形で使われるなら、「無理なく」してしまえば良いのです。過去は変更可能でもあります。同じ事実でも過去を成功に導くものとすることもできるし、やっちまった失敗だとすることもできる。

その作業が「現在」。その後ろ姿を見ているのが「未来」。

何か1つでも獲得する。(偶然でも、計画でも)それを未来に繋げることです。そうすれば失敗は無くなり、無理も無くなる!

よくよく考えると、私の身体は3ヶ月前に、エアジン翌日・翌々日の演劇公演をキャンセルさせてもらっていました。即決でした。私の身体、エライ。実際に翌日は左指は硬化きびしく演奏は不可だった。

身体の細胞一つ一つをLIVE開始の一点に集中させれば大概のことはできる、本当にできないことは身体がすでに断っている!

さて、音楽・演奏は、私の身体のことなど「そんなの関係ありません。」オッパッピーです。私の個人的事情です。そこで判断されたり、バイアスがかかったりしたら掟破り。極刑。

4階まで、階段を踏みしめてゆっくり上がります。軽く小さなフライトベース・雅にしようかとも頭をかすめましたが、こんな時こそと、我が最愛の大きく・重たいライオンヘッド・バールをエイヤッと担ぎました。この階段を40年、何百回も上り下りしました。いろいろな思い出が染みついています。

ドアを開けると、ユウコさん、レジーさんの歓迎を受けます。レジーさん、同ブルーのシャツだったので「オー、バンドカラー!」「ブルースブラザーズ!」となごませてくれました。AACMの元会長ダグラス・イワートさんは「父親のようだ」とのことで、25年前に日本で親しくしていた私も彼の話題から話は弾みました。すばらしい人です。AACMの世代交代、シカゴ、ニューヨークでの違いなども聞けました。

ユウコさんのミュージシャン歴はとても感動的でした。日本でジャズピアノを目指し、習ったり、演奏したりしていたころ、多くの人から散々に言われ、全く認められなかったとのこと。たまたまニューヨークでジェローム・クーパーさんとおなじアパートになり、クーパーさんの部屋から流れるセシル・テイラーの音に大きな衝撃を受け、立ち尽くしてしまったとのこと。そのまま一日中、セシル、レイシーなどなどの音の熱き洗礼を受け、現在に至る、と言うわけです。良い話だな~。

外国で生活するとどうしても直面せざるを得ない「日本的って何?」「日本って何?」という課題に正面から丁寧に立ち向かって一つ一つクリアしていったような作品。それは、賭けでもあるでしょう。どうしてもズレてしまっているんだろうな~を承知で、どうしても骨の髄から響いてくる音に正直にやるしかない訳です。日本に住む日本人はそういうことさえ考えません。

輪郭のハッキリしたユウコさんの音、ドラムスのチューニングが絶妙のレじーさん。私の現在の演奏環境は、すべてアコースティックです。無音をこそ伴奏に演奏しています。

彼らのように音に誠実に対していても、グランドピアノやドラムセットが出す倍音とコントラバスの生音の倍音の関係にはあまり意識が行かない、それは当たり前でもあります。そうやってジャズ系の音楽が育って行って今がある訳です。

その中にダブルベースもあり、発展し、PAやアンプを使ったりしてきました。あまりに倍音や雑音をキレイに出すPAだとピアノやドラムスにキレイに吸われてしまいます。少し歪んだアンプの音のほうが、ヘタウマ的に現場では有効なのです。バスドラムとの音の響き合いや、シンバルレガートの間にパルスを挟むかなど、ジャズ系の現場での「楽しみごと」も山とあります。

私はずっとその対処から遠ざかって(逃げて)いました。今回はベースだけ少しアンプリファイすることも考えましたが、「聞こえなくたっていいのだ!」と信じ、ノーマイク、ノーアンプでピアノとドラムの間に位置しました。(気がつけば私の40年以上の歴史でほとんどないセッティングです。なんだか嬉しかったな~)

私はいつものように?「賭け」です。私はいつもの私、最上の私を提示する義務があります。ダメなら仕方ないけど最上を尽くすのだのこころ。ダレカガミテクレテイル。ダレカガキイテクレテイル。

ユウコさんもレジーさんも、私の生音を精一杯尊重してくれました。ありがとうございました!音楽は人柄ですね。そして、何を求めてやっているのか、明確であるべし。

この日がツアー最終日、古~い友人、ご家族もいらっしゃってご自分の全てを聴いてもらおうというユウコさんの覚悟とミュージシャンシップに強く打たれました。スバラシ。

「またね」と言う言葉が気楽に使えない状況ですが、いや、だからこそ「またね!」と別れました。