ファイナルワード

 

この前のいずるばオープンリハーサルでファイナルワードの話題をだしました。
「それを言っちゃあ、オシマイよ」という言葉です。

難しい〜。
深い~。
愛してる~。
カッコイイ~。
だってしょうがないじゃん。
これだけは譲れない。(いくらなんでも・・・)
じゃあ、お金くれる?
泣けてきました。
逆に言えば同じ。

そこで話は終わってしまう必殺の言葉群。思考停止・判断停止。争わずに終わる(逃げる)おまじない。日本にとても馴染む呪文。

同じようにドリームキラーというのもあります。
「やめたほうがいいよ。君のために言っているんだ。」

しかし、いずるばでのワークショップ第2回ゲスト編 ミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニンの時にミッシェルが『即興とは、どんな状況でも何とかして、新たな局面を見つける方法でもある』と発言しました。それは音楽の現場での話だったのですが、私には、人生の全ての局面に言える!と受け取り、金言としました。

上記、ファイナルワードがでてきたら、要注意、そして、それは大きなチャンスと捉えるようにします。そこから先こそが本当。もっと素晴らしいものが見つかる。(そうしないと見つからない)

一方で、ファイナルワードを少し隠して持っておき、うまく使う事も知恵かも知れません。そうでないと、「自分は正しい病」に陥り、自分の首を絞めることになりかねません。生きていてこそですからね。

こんな前振りですが、

昨日CTスキャンの結果は「ほんの少し大きくなっていますが、動きは緩慢」。消滅していたよ!という夢は夢に終わりました。

再びこの先について担当医とじっくり話しました。私はこう見えても江戸っ子(見てくれに反して)たいへん短気なので、なんでもいいから早くキッパリさっぱりしたいのです。

ともかく今は結果を焦らず、延長戦・持久戦と覚悟を決めました。こんな専門病院で短期間に3回検査をしての結果ですので、あいつは、確かに再発して、少しずつ大きくなっているというのは事実でしょう。

担当医は長期の湯治も大賛成してくれています。なんとか担当医と話合いながら、私自身の治癒力を信じ、頼らず、頼って、今・ここで、できそうな仕事を進めたいと思います。

私の気持ちだけは譲れない、とも思わず、だってしょうがないとも愚痴らず、難しい問題だ〜と逃げず、泣いてごまかさず。人生リハーサルはありません。

明日の第1曲目に演奏予定の渡辺洋さん詩「ふりかえるまなざし」の最終部分は
「いまがそのとき、ねばりづよく、ねばりづよく、ねばいづ〜よく」
言葉に助けられています。

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「ことば 詩 音 呼ぶ 歌 探す 踊る」
同時代の詩に徹が曲をつけ、泰子が歌い、隆志が踊ります。

2018年9月15日(土)17:00 open17:30 start
会場:アトリエ第Q藝術 (東京都世田谷区成城2-38-16 tel:03-6874-7739)
出演:松本泰子(歌)、齋藤徹(コントラバス・作曲) ゲスト:庄﨑隆志(ダンス・手話)
予約 3,000円 当日 3,500円
予約先:travessia115@me.com 、 utautaiko@me.com 、 q.art.seijo@gmail.com、いずれかまで。