このころ

お暑うございます。

試すがごとくこの時期にLIVEが集中しております。もっと均等に入れれば良いのに、とたくさんのアドバイスをいただきます。ありがたいです。

スケジュールをご自分でやっている方にはお分かりかと思いますが、スケジュールはどういうわけか集中したり重なったりします。仕方ないのです。空くときはず〜っと空きます。

副作用きびしきがゆえに、現状では、一回一回を最後かもしれないと集中して行っております。そのおかげか、良いこともたくさん見つかります。

まず、安静に家にいたら寝ているばかりです。しかしLIVEがあれば、LIVEの開始の時間・場所に合わせて全神経をそこへ向けます。全細胞が一点に向かうわけです。(長いリハーサルや打ち上げはご遠慮願っておりサッと来てサッと帰ります。高速道路も特別許可です。)

これで寿命が多少減っても天井を見ながらストレスを溜めるよりはよっぽど良い。

また、最後まで無事に演奏できるかが、最大の課題なので、この暑さも、交通渋滞も、パーキングも、気にくわないことも、理不尽なことも、以前のように気になっていないことに気がつきました。

「自分は正しい」病からは多少抜け出すことができているようです。

花はより美しく、緑は目に染みて、雲は想像力をかき立て、夕焼は美しく、虫も可愛い。ありがたいです。「生きていること」が唯一基本の条件ですので、たいがいのことは耐えられるわけで。いつもそこに立ち返らねば。

本もCDもDVDも事務も大事なものから早く取りかかる、大事であろうものを意味もなく後回しにして取っておくこと減りました。

良いことづくめか。

左手の握力がなく、指先の痺れはそのまま、足の浮腫と痺れでじっと立ったり普通に歩くことがキビシイ。25年前にやっと克服した技術ができないこと(25年以前に戻ってしまう)に苛立ちもしました。音程が悪く、左手の小指が使えず、重音がむずかしい。そういうことを克服するために日々修練してきましたが、ダメ。何のために努力してきたの?それは、技術ではなかったことが分かりかけています。

もしこの先15〜20年生きていたらそのころの身体の「先取り」をしているだけと解釈(小林裕児さんに教わりました。)します。

これでいいのだ〜のこころだ〜