おどりのかたち

ダンス2デイズを前に

例えば握手、握手は手に武器も何ももっていないことの相互承認。
頭を下げるお辞儀は、頭を殴られることも心配しないほど信頼しているという証し。
ハグは、すべてを投げ出します、受け入れますの印。
敬礼は、甲胄の眼の部分を開ける、(眼を見せる・心を見せる)ということ。

一対一の儀礼はすべて敵味方からの解放のようです。
Vサインは、victoryのVを表すという説の他に、敵の捕虜の処遇で、人差し指を切る、すなわち、弓が引けなくなるということがあったと言います。解放されたときに、人差し指も中指もあるよ!という印に人差し指、中指を見せるという説もあります。

ことほどさように人の歴史は闘いの歴史でもあるのでしょう。平和と平和の間に戦争があるのではなく、戦争と戦争の間に平和があった、というのが事実に近い。

竜太郎さんのダンスの姿勢を見ていくと、初めの頃は、「ゴレンジャー」のような戦隊もののヒーローのガッツポーズの形が多くありました。日常で劣等感やイジメやあらぬ視線を人一倍感じる彼が、ダンスという非日常で「やっつける」姿勢だったのかもしれません。

私と一緒に、長い時間をかけてそれを克服していきました。そうしなくてもいいんだよ、ということを身体に分からせ、より自由に踊るために。

考えて見れば、バンザイの形も、自分を実物より大きく見せる姿勢でしょう。熊に出くわしたときはバンザイをして自分を大きく見せるのが有効と言います。

明日のチラシでの竜太郎さんもその傾向が見受けられます。これもすこしずつすこしずつ抜けられるはずです。

ダンスと闘い、といえばブラジルのカポエイラ。踊っていることを装って武術の訓練をしていたということです。そのビートは強い2ビートです。3拍子で毎回重心が左右に移動する(ワルツ)と軸を取りにくいということがあるのかもしれません。相手に重心を悟られないのには良いのかも知れません。(酔拳)。

私は3拍子・5拍子・6拍子・12拍子が好きです。身を任せるビートでしょう。攻撃されることを想定しないリズム。

下へ下へとの方向の舞踏、つま先立ちをして上へ上へと指向するバレー、それぞれ意味があり、拠ってくる理由があるはずです。

前拍からのビートを溜めて一瞬で発火させグルーブをつくるリズム、前拍無しで予見できない素早さ(古武術的)で展開する、いろいろ可能性はあります。そして、今・ここ・私へ至る時間の、空間の膨大な歴史は、私たちの身体に記憶に消されることなく刻印されています。

自由へ・平等へ・平和へのかたち(ダンス・音楽)を探したいものです。