やっっっっと帰国しました。
すべてが手助けと心遣いと激励によってなりたっていたというのが実感です。
本当にありがとうございました!
まるで奇跡のようだと思いますが、この「奇跡」という言葉があんまりしっくりしません。
「奇跡」はじつはあちこちに偏在していて、ふだんは気がつきません。それを拾い上げて手にすると「奇跡」になる、という感じです。気がつくこと、拾い上げること、大事に愛でること、そっと丁寧に返すこと、すこし良くして返すこと。誰かにパスを回すこと。
奇跡は奇跡以外のすべてと手を携えているようです。奇跡だけでは存在できない。
今回のドイツツアーを成り立たせてくれた奇跡は、成り立たなかったであろうことすべてと一体となっている。そして一体となってやっとこの世での砂粒になった。
それは、音をひとつ拾い上げて音にする。それはその音にならなかった音すべてと一体となって音になることと似ています。
それは、言葉を拾い上げて、純度を上げて詩の言葉にすることと似ている。
それは、動きひとつを拾い上げて、その動き以外のものと一緒にダンスになるのににている。
実際、今回のドイツツアーでも、1つのダンスシアター、1つのセッションはキャンセルしています。それは、今後、生き繋いでいって、補てんしようと思います。できないときはできないことは身に染みています。
やることは、やらないことを相対化し、やらないことはやることを相対化します。
ゴーヤーは半分の苗は育っていて、ポトスは自ら半分腐らせる方法を取り半分生き延びていました。